市川稔の米(マイ)情報

私の米流通の歴史⑤

昭和48年、アメリカへのツアー参加したこと書きました

小生にとってこれも大きな転換点だったと思います

アメリカとの国力の差

日本は戦争に負けて復興に立ち上がり上を目指していた

小生も20歳そこそこで若かった、希望に燃えていた

ツアーはおよそ50万円くらいだったと思うが

ツアーで親しくなった何人かの中に発展途上のスーパーの人がいました

帰国後、そのスーパーと取引することになり、大量のお米買っていただき

スーパーもお米が販売できて喜んでいただき

ツアー代金はしっかり回収しました(笑)


さて、次の展開です

ある時、社長である父が都内で開催された経営者セミナーに参加

その中で、福岡の会社だがレストラン経営をすごく大きくやっていて東京に進出する計画らしい

そんな話しを

今の時代のようにネットで検索というわけにいかず(^^♪

その店、みたことあるような

当時、私は営業部長の名刺、訳あって弊社に入った25歳上の営業課長と二人であるところ訪問

それは、相模湖の淵にある「ローヤル」というところ

話しをするがチンプンカンプン

それもそのはず、こちらのまったくの勘違いで違う会社でした

謝って退散してきました


そんな程度の情報というか知識でした


その後、調べて営業課長が一人で福岡まで飛びお米の売り込みに行きました

もちろん、どこの馬の骨かも分からない会社がアポなし訪問してもまともに相手にされるはずもなく

まったくダメだった、しかしすごい会社、飲食業であんな会社見たことない


こちらの知らないところで動きがあり


その福岡の会社、東京への1号店進出にあたり市場調査していた

レストランビジネスとしてその福岡の会社はずっと進んでいて

アメリカの外食企業のノウハウも入れて先進的

競合するであろう、すかいらーくやデニーズもまわり

店作り、接客、料理、どれも負けていない

ひとつ負けていることがある

それは、ライスが東京のライバル店の方が美味しいというものだったそうだ

そして、社長の命でどこから仕入れているか調べなさいと

その後、信じられないことが起こる

弊社が売り込みに来ていたことを知った社長が激怒して

なんと、3人分の往復航空券が送られてきた

昭和52年の初め頃だったと思う

福岡の本社に来て欲しいと

その本社は輝いていました

入口には会社の理念である文字が

fine food is our business

ロイヤル


続く

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