帰りに寄ったレストラン
広い駐車場、ガラス張りの店舗(中が見える)
どれもこれも新鮮
前年からデニーズ1号店、2号店の取引始まっていましたが、まだ実験段階で
イトーヨーカ堂の店舗の中への出店でした
「すかいらーく」は郊外に広い専用駐車場を設けテーブルレストラン
目玉商品は「ハンバーグステーキ」
熱々のハンバーグ、目玉焼き、ポテトフライ、ライス、スープ
480円だったと思う
すかいらーくが日本流の洋食たくさん開発しました
ハンバーグ、パスタ、ピザ、レタスのグリーンサラダなどなど
ライス普通盛り300g
大盛無料サービス
400g!
早朝から動いているので腹ペコで入店してる
当然ながら大盛注文
スタッフの接客はキビキビ、90度のお辞儀
大きな声
すごいなぁと感心
こういう店で米使ってもらったらすごいだろうな
レジで会計し、名刺を差し出す
店長曰く、
弊社はチェーン店で仕入は本部で一括で行っているのでそちらに問い合わせてくださいという
後日、電話でアポもらい本部に訪問しました
すかいらーくは創業4兄弟
オーナーのひとり、三男の方が仕入、商品を担当されていてお会いすることができた
聞けば、米の仕入で苦労している
その時点の店舗数は20店舗だったが、米小売りの営業区域の問題もあり20店舗なのに6社から仕入れている
品質バラバラ、その時によって炊きあがりも変わりすごく困っている
御社はどういう対応できるの?
弊社はどこの店でも納品します!
ほんとにできるの?
どんなところと取引しているの?
デニーズジャパンがありますと答えた時に顔に変化があったこと覚えている
デニーズがどんなすごい会社かよくわかっていなかった(^^♪
そんなやりとりがあり、
では実験的に数店舗取引することにしよう
数か月経ってから
おたくに全店舗まかせるからやってくれないかと言う
「もちろん全力応援させていただきます!」
その時採用というか取り組んだ方法とは
受発注なし!
店舗在庫を納入側である弊社の方で管理
店舗在庫無くなる前に弊社の社員がトラックで訪問し、新しい米を下に、在庫の米を上に
天地作業をこちらで行う
とにかく大繁盛で使う米の量がハンパなかった
新店舗開店の時は地元で採用したたくさんのパート社員がいます
みなさん、レストランの仕事は初めてであり
業務用の釜で米を炊くのも初めて
弊社の社員が開店前研修の時からお米の炊き方指導させていただき
お米、ライスのことは「いちかわ」に任せておけば安心
米のこと、炊きあがりライスのことですが、
徹底して食味にこだわり、春夏秋冬でブレンドを変える
通年同じような品質になるように
すかいらーくグループ、現在では3千店舗以上あります
当時、20店舗でしたが、会社の目標は300店舗にすると聞いてたまげた
300店になったらどうなるのだろう?????
よし、こちらもそれなりの体制整えようと希望に燃えました
当時、米業界には「うちのお客」という意識が強く残っていて
「取った」「取られた」みたいな
それは前に書いた米穀通帳のなごりなのです
消費者と米販売店は通帳でつながっていて
配給制度ならそうなりますね
だから、うちの客という意識が残っていたのです
そういう観点では、新規のチェーンレストランですからどこのお客様でもない
新たな市場(マーケット)を切り開く挑戦者だったわけです
これを「真空マーケット」と呼びました
どこも手を付けていない新たなマーケットという意味です
話しは戻りますが、
昭和48年のこと、小生の父がアメリカに勉強に行かないかと
昭和48年4月から働き始めた小生が最初にもらった給料は6万4千円だった
そういう時代に50万円くらいするツアーに参加させてくれたのです
アメリカの金銭登録機(レジ)の会社NCR
日本NCR主催「MMMツアー」
MMMとは、マーケティング、マネジメント、マーチャンダイジングの略です
当時、日本NCRはコンサルティングセールスする先進的な会社でした
初めてのアメリカ本土
アメリカの豊かな社会をこの目で見て
巨大なスーパーマーケット、品数の豊富さにビックリ
巨大なショッピングモール
マクドナルドなどのファストフードチェーン
テーブルサービスレストランチェーン
朝から夜まで視察視察
セミナーはカルフォルニアの軍港の街「サンディエゴ」のホテルで
3日間朝から夕方まで同時通訳で
見るもの聞くものすべて新鮮でした
よいかよくないか別にして確実に日本はアメリカのまねをすると思った
特に、小売業、外食業、日本は遅れていたので
続く
新店舗開店の時は地元で採用したたくさんのパート社員がいます
みなさん、レストランの仕事は初めてであり
業務用の釜で米を炊くのも初めて
弊社の社員が開店前研修の時からお米の炊き方指導させていただき
お米、ライスのことは「いちかわ」に任せておけば安心
米のこと、炊きあがりライスのことですが、
徹底して食味にこだわり、春夏秋冬でブレンドを変える
通年同じような品質になるように
すかいらーくグループ、現在では3千店舗以上あります
当時、20店舗でしたが、会社の目標は300店舗にすると聞いてたまげた
300店になったらどうなるのだろう?????
よし、こちらもそれなりの体制整えようと希望に燃えました
当時、米業界には「うちのお客」という意識が強く残っていて
「取った」「取られた」みたいな
それは前に書いた米穀通帳のなごりなのです
消費者と米販売店は通帳でつながっていて
配給制度ならそうなりますね
だから、うちの客という意識が残っていたのです
そういう観点では、新規のチェーンレストランですからどこのお客様でもない
新たな市場(マーケット)を切り開く挑戦者だったわけです
これを「真空マーケット」と呼びました
どこも手を付けていない新たなマーケットという意味です
話しは戻りますが、
昭和48年のこと、小生の父がアメリカに勉強に行かないかと
昭和48年4月から働き始めた小生が最初にもらった給料は6万4千円だった
そういう時代に50万円くらいするツアーに参加させてくれたのです
アメリカの金銭登録機(レジ)の会社NCR
日本NCR主催「MMMツアー」
MMMとは、マーケティング、マネジメント、マーチャンダイジングの略です
当時、日本NCRはコンサルティングセールスする先進的な会社でした
初めてのアメリカ本土
アメリカの豊かな社会をこの目で見て
巨大なスーパーマーケット、品数の豊富さにビックリ
巨大なショッピングモール
マクドナルドなどのファストフードチェーン
テーブルサービスレストランチェーン
朝から夜まで視察視察
セミナーはカルフォルニアの軍港の街「サンディエゴ」のホテルで
3日間朝から夕方まで同時通訳で
見るもの聞くものすべて新鮮でした
よいかよくないか別にして確実に日本はアメリカのまねをすると思った
特に、小売業、外食業、日本は遅れていたので
続く