市川稔の米(マイ)情報

私の米流通の歴史②

会社には転換期というものがあります

私の米流通の歴史の話し

昭和49年(1974年)のことでした

当時の会社に7歳上で従弟が働いていました

新しい販路開拓で、大学時代の友人がイトーヨーカドーに勤めている
なにかあるかもわからないので行ってみようと
二人でイトーヨーカドーの本社訪問しました
二人ともまだ20代です


その友人は子会社に出向していて
ひとつの部屋に子会社数社入っていたように思う
テーブルで向き合い、米の話しやらしていました
すると、衝立の隣から立ち上がりこちらの方を
「その話し、もう少し聞かせてくれないか」
その人は出来たばかりの会社

アメリカのデニーズ社のノウハウで日本でデニーズを展開する
イトーヨーカドーの中に1号店、2号店を開店して試行錯誤している時でした

デニーズのメニューそのまま日本で展開しようとしたが、日本人はおかずとごはんという習慣ある

なので、ごはん(ライス)が必要なのだ

食管法バリバリの時代なので、米卸と話していてもまったく埒が明かないというか
クレームでもなにも改善しようとしないし

当時は米穀会社は販売区域というものもあり

区域外なら新しく取引先を探さなければならない

当時の会社そういうものぶち壊すつもりで自由に活動していた

それで要望聞き入れ取引が始まりました

チェーンストアなので職人はいません

お米の炊き方をスタッフ、パート社員と一緒になりマニュアルを作る

一度に炊く量の米を袋詰めしてお米を量るという手間をなくした

洗米のしかた

水加減はいい加減ではなく重量で管理

ガス炊飯器、火が落ちてから何分蒸らすか時間管理

シャリ切してジャーに移す

何時間まで提供するか

そういうことをマニュアル化して行きました

お米を売るわけですが、
どうしたら「美味しいごはん」になるかそれを追求しマニュアル化するわけです

その先のお客様の満足を高めることを目指したわけです


米業界では一番早い取り組みだったと思う


日本で飲食業はまだ産業と認識されていない時代

アメリカ生まれの近代的なレストラン経営

チェーンストア理論でのレストラン多店舗化です



続く


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