市川稔の米(マイ)情報

3:10と3:11

1945年3月10日は東京の下町に焼夷弾が計画的に落とされ、逃げ場を失った一般市民が一晩で10万人以上殺された日です。

焼きつくす周囲に先に焼夷弾落とし逃げ場を塞いでから無差別に焼夷弾を落とした。

日本の木造家屋を研究しており、屋根から貫通して畳や床に突き刺さり入れてあったオイルが飛び散り燃える仕組みだ。

バケツリレーで消すなどなんの役にも立たない。

3月10日は一晩で10万人殺されたということで有名だが、東京地区に限っても100回以上の空襲があり多くの非戦闘員が殺されました。

いろいろな地域で行われました。

たくさんの非戦闘員が殺されました。

東京大空襲

極め付けは広島、長崎に投下した原子力爆弾です。

戦争に負けたら非戦闘員の無差別殺戮は問題にもなりません。

戦争に負けるということはそういうことです。


平和がよい、戦争は絶対にしてはならない。


誰でもそう思う。


でも、人間というのは意地の張り合い、自国の利益優先など変わらない部分もあります。

莫大な軍事費を使い睨み合っていることも現実なのです。

日本は戦争に負けて、


軍隊保有してはいかん

戦争はしない、

国の正しい歴史は教えない

家族をバラバラにする

個人主義


ようするに、占領軍の方針(日本が二度と立ち向かわないように骨抜きにする教育に変えること)により変えさせられたのです。



3:10も忘れてはならない。



そして今を生きる我々は3:11は現在進行形のことでもあります。


強い日本人を見せなきゃ。

我慢、耐えてる日本人像だけではいけません。


特に原発事故の周辺の福島の復興が一番大切だ。


第一原発周辺の地域は原発事故の最終処分場とする。
(30年後に他の県に持っていくのでそれまでの中間処分場にするという子供だましはやめてもらいたい)

原発事故が起きた場合の壮大な実験場として世界の技術を集積する場にする。

研究所にしてしまう。


避難している指定区域の皆様には新しい土地を用意し、復興と成長をセットにした特別区を作る。

除染に数兆円使っても成長に結びつかない。

その金を生きた金にしなければならない。


元に戻すというのは経済的に不可能です。
(元のようにできるかという淡い期待を持たせる方が罪)

人口が激減し、特に若い人や子供が異常に少ない地域なってしまえば未来はない。

原発マネーで町の予算組めていたものがもう無いのですから。



政治家もそういう本当のこと、大胆に未来を語ることが必要ではなかろうか。


対処療法では解決しない。


一年経過してそんな思いでおります。

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コメント一覧

noga
Japanese mentality
太平洋戦争において、日本軍が十分な軍事力を示すことができていたならば、米軍は、沖縄に近づくことはなかった。したがって、沖縄戦もなかった。力を軽視する人間には、力量の判定はできない。テクニカル・ノックアウトの判定を下す能力のない指導者が権力を握っていると、民の命はいたずらに消耗するばかりである。力は正義である。力を軽視する風潮が人命を軽視する習慣につながっている。我々が自らの力を抑止力として十分に示すことができれば、正義はわが方についてくる。(Might is right).
昔、「コーラは○○○、ボクシングはヤマトダマシィ」という宣伝文句があった。
闘争には、大和魂が有効であるということであろうか。大和魂とは、負けじ魂のことなのか。大和魂を発揮して頑張れば、その結果は沖縄戦のようになるというものであろうか。

悪くないものを悪いと言わせようとする恣意がある。これも、腹芸か、大和魂か。
その恣意が政治問題を何十年も膠着させている。
普天間基地の環境がどうしても我が国民に許しがたいものであるならば、政府は福島の第一原発のように「長期帰還困難区域」に指定すればよい。
この国の政治には、恣意の人でなく、意思の人が必要である。
さすれば、腹案ではなく、成案をもって問題は決着できる。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする (ちゃぶ台をひっくり返す)力は持っている。
だから無能力の我々は、常に耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲しなくてはならない。
和をもって尊しとなす。過ちは、繰り返しませぬから。
これは単なる感傷ではなく、我々自らの叡智をもって裏付ける行動に出なくてはならない。

日本人には意思 (will) がない。
意思は未来時制 (future tense) の内容である。
日本語には時制がない。
だから、日本人には意思がない。

英米人の子供には意思がない。
この点で日本人のようなものである。
思春期を迎え、言語能力が発達すると、意思を表すことができるようになる。
英米流の高等教育 (大人の教育) が可能になる。これは、さらなる英語の教育である。
日本語脳の持ち主には、大人の教育の意味は理解できない。
日本人は英米流の大学教育を高く評価もしないし、効果も上がらない。

子どもには意思がない。
だから、子供には保護者 (chaperon) がついてきて、それを代行する。
日本政府にも、意思決定が難しい。
だから、アメリカ政府が意思決定を助けてくれる。
日本人の誰もが指摘する通り、我が国の政府は、アメリカ政府のポチである。
日本人が、この道を脱却できるかどうかは、英米の高等教育の習得の成否にかかっているといえる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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