市川稔の米(マイ)情報

平成を振り返り(3)

平成6年9月30日


社長室を出る時、3階から椅子を持って階段を下りました。(かなり重たい)


下を向くと涙がこぼれるので上を向いて


会社を清算するにあたり、土地、建物、設備、備品、顧客、営業権(のれん)を売買します。

備品もひとつひとつ札を付けて、資産に計上されているかいないか、計上されていなくても、

新会社が必要なもの、不要なものに仕分けします。

社長の机は必要だが、椅子は不要というので、最後の最後に自分で持って階段下りたわけです。

余談ながら、その椅子はガタ来ていますが現在でも現役で使っています。

記憶が正しければ昭和53年(1978年)社屋新しくした時に購入したもの。

スイスのジロフレックス社製で当時はかなり高価だったと思う。

40年以上使っているから安いものだ♪



平成6年10月1日


小生の方も事業の一部を引き継ぎ現在の「いちかわライスビジネス株式会社」を立ち上げ営業開始しました。

1日の休みもなく引継ぎが出来ました。


社屋、事務所、工場、トラック、なにもありません。

後輩が空いているビルの部屋使ってよいと言ってくれていたので甘えさせていただきました。

小生以外、新会社に行かなかった4名、総勢5人でスタート。


「きゅうさん」を3店舗、小売店卸、業務用販売。

精米は今は亡き山形県の友人の会社が引き受けてくれました。

運転資金もないので売掛でやってくれました。


今から振り返るとよく出来たものだと思う。

別の友人は資金が必要だろうと、無担保で1千万円貸してくれました。

もちろん全額返済しました。

家族、友人、お客様、仕入先、取引先に助けていただきました。

有難いことです。



あれから25年、平成も終わろうとしている。


会社は存続している。


扱う商品のメインはお米ですが、業態というかビジネスモデルはすっかり変わりました。


発足した時のスタッフで残っているのは一人(パート社員でもう一人)



人間、良い時、悪い時、うまく行く時、うまくいかない時がある。

信頼していた人物に裏切られることもある。

サラリーマンではなく、会社経営者となれば全責任を負わねばなりません。

社長はトップとして判断、決断、指示、そして責任も負うし持つ。



人生には終わりがある。


いつまで続けることが出来るか。

いつまでやるか。



平成が終わる今。


過去を振り返り、現状を認識し、近い未来の予定を立てる。



続く

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