多くの人々の参列、ご協力を得まして無事終えましたことに感謝すると共に哀心よりお礼申し上げます。
有難うございました。
通夜の晩は葬儀の会館に一緒におりました。続く限り棺の前で男兄弟3人と小生の長男と合計5人で酒を飲んでおりました。
昔の話をしながら。
昨日は寝不足と二日酔い状態でありました。
大変だったなど言えません。
住職と副住職の運転手をして火葬場や寺の往復をしましたのでお坊さんのお話をいろいろ伺っておりました。
「92年も生きた正雄さんの人生を思えば我々が大変などと言えないでしょう」
そのようにお坊さんが云うのです。
そして、しっかり送ってあげようと。
昨今の日本はなんでも省略してしまうが省略してよいこととよくないことがあるだろう。
葬儀というのは残った家族や親族にとって一番の仕事であるはずだがだんだんそれが薄れてきている。
火葬場、寺での納骨式、最後の食事会と親族約50名ほど参加してくれました。
最近では珍しい人数だと驚いておりました。
親戚が多いのは頼もしいものです。
先代、先々代の親戚となるとだんだん薄くなります。
こんな時でないとなかなか会えません。
ルーツを伝えて行くのも大切なことかと。
また、本家のある地域は幾代もの近所付き合いがあり同じ組(そう呼ぶ)の家は皆総出で葬式のお手伝いをする。
いわゆる「お互い様」という共同社会が生きている地域です。
小生が云うところの「コメ作り文化」の共同社会です。
もう、こういう地域は少なくなりましたね。
住職にこのあたりでは土葬から火葬に変わったのは何年頃ですかと聞いたところ昭和42年とのことでした。
その前は土葬だったので葬式があると「組」の人が総出でお墓を掘るのです。
昭和30年台に4回葬式出したのでの子供心にしっかりと覚えています。
小生の6歳になる孫が火葬場にもすべて参加しましたが「死」というものを理解出来ないようです。
小生の母親を亡くした時と同じ年なのでダブって見えました。
派手にやる必要もありませんがあんまり貧弱でも・・・
ある意味、葬式とは生きている人のためにやっている部分も現実にはあり。
生花もたくさん出していただき「花を飾る」ことができました。
弔電も小生の関係だけでも110通以上いただきました。
本当に「有難い」です。
生があり死がある。
その繰り返しであることが現実です。
でも、普段はまだまだ生きると思っている。
終わりということを考えない人が多いかな。
けじめをしっかりして生かされている者はしっかりやらねばと改めて思うのでありました。
本当に有難うございました。
合掌。
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ポンポンダリア
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