父が亡くなりました。
約1世紀近く生きたのだから長生きでした。
大正5年3月30日に出生届けを出していますが、実際は4月だったようで、1年早く学校に上げられるからではと言っておりました。
来月で満93歳になるところでした。
昭和14年に市川家に婿養子として入り、すぐに二人の子供を設けましたが昭和16年から戦争に。復員したのは昭和21年の6月でありました。
つい数日前に見舞いに行った時、看護士さんと話をしました。
「市川さんはよく歌を歌ってますよ」
「なんか戦争の歌というか・・・」
小生曰く。
「歌は軍歌か芸者ワルツでしょう」
「一番辛かったことと一番楽しかったことなんだと思います」
看護士(どうも看護士という言葉になじめない女性なら看護婦で良いと思うけど)さん
「そうでしたか、きっといろいろなことたくさん体験した人生なのでしょうね」
戦争に行っていたときは戦友から「ハマちゃん」と呼ばれていたそうです。
結婚したばかりの母の名前でした。
もっとも過酷な、もっともでたらめな作戦のひとつであった「インパール作戦」に自動車部隊の一員として従軍したのででした。
小生は小学生のころ、毎年行われていた戦友会によく連れて行ってもらいました。
戦後世代の私たちには想像も出来ない体験をたくさんしたのでしょう。
正確に言えば、小生は6人兄弟の末っ子。
一番親に心配をかけました。
激動の時代を生き抜いた父を立派に思う。
もうなにも心配することはない。
天国でずっと先に行ってた母と再会を果たしていることでしょう。
ゆっくり休んでください。
合掌。
お世話になった皆さんにこの場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
葬儀の日時など決まりましたらこのブログでもお知らせさせていただきます。
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