市川稔の米(マイ)情報

宅急便を作った人

日本にも名経営者たくさんいますが、国民の暮らしを変えた「宅急便」の生みの親である、元ヤマト運輸社長、小倉昌男さんが80年の生涯を全うしました。

小生が勝手に尊敬する経営者のお一人です。

現役を引退してからは、ご自身の「ヤマト運輸株」を寄付し(約46億円)「ヤマト福祉財団」を設立。

障害者が健常者と一緒に働ける場作りに尽力。焼きたてパンのチェーン店を展開し、障害者に月給10万円という夢のような事業を成功させた。

宅急便は日本の暮らしを変えました

当時、全国展開するにあたり、運送免許を出さない(何年も放置する)運輸省と戦ったことでも有名です。

新聞に全面広告を出し、国民(消費者)を味方にした議論を展開しました。
小生も陰ながら応援していました。

1976年1月に宅急便は開始したそうですが、初日はたったの11個でした。

数字に裏づけされた「仮説」を立てて臨んだわけですが、運送事業というのは「受注型事業」であって、どこから注文が入るか分からない「見込型事業」はまったく不慣れであったと思います。

役員会で全員反対されたそうですが、当時の常識では当然でしょう。

小倉社長の考えは理解できなかったと思います。

今では国民の「インフラ」になり、なくてはならないものに成長しました。

米も産地から消費地、消費者に送るということもごくごく普通の出来事になりました。

クール宅急便は、全国からの「お取り寄せ」ビジネスにも大きく貢献しました。

お父さんの単身赴任にも、時間指定で家庭の味を送ることもアタリマエになりました。

ゴルフ宅急便も、手ぶらでゴルフに行かれると多くの支持を得ています。



日本を代表する名経営者がひとり人生を卒業されました。

合掌

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