市川稔の米(マイ)情報

台湾紀行(3)

台南方面の農家と農業訪問させていただきました。

暖かい穏やかな地域。

3千メートル、4千メートル級の山が連なり台風を遮るのだそうだ

どこでも歓待を受けました。

感謝です。

やはり、ここでは鳥山頭ダムには行かねばなりません。
日本時代の1920年から1930年のたった10年間で造り上げた。
当時、アジアで最大のダム。
なんと、15万haもの土地に水路を敷き詰め、大穀倉地帯に変貌させたのです。

1区画150ha、それを3つに分けて、3年輪作で作物を作るよう指導。

これにより、生産量は劇的に増え、農民の暮らしも大変豊かになりました。

ダムそのものは世界遺産目指しているそうです。

このダム建設の設計、指揮を執ったのは若き日本人の八田興一(はったよいち)です。

日本が戦争に負け、日本の痕跡を消すため銅像などすべて撤去されました。

八田さんの銅像は農民達が隠していました。

落ち着いた時代に元の場所に戻されたのです。

それがこの銅像。



花がそえてありました。

立派な記念館は日本語で解説する映像もあります。



工事にあたった人びとには日本人、台湾の人も分け隔てなく扱い、環境も整備した。

宿舎も八田宅はじめ4棟復元されています。






八田興一さんは命令でフィリピンに向かう際に魚雷で船が沈没し戦死しました。

日本が戦争に負けた直後1945年9月1日、夫人は夫の後を追って、ダムに身を投げました。

八田興一さんの命日5月8日は毎年慰霊祭が行なわれています。

私たち日本人は誇りに思うど同時に後世に伝えてゆく義務があると思う。

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