市川稔の米(マイ)情報

戦前の写真

12月23日は天皇誕生日。

82歳になられました。

会見で、先の戦争で命を落とされた軍人以外の人々、海外の人々にも深い思いを寄せておられました。


今の、うかれた日本人は、12月24日クリスマスイブを楽しんでいる。

祭日でもないし、キリスト教でもないのに。



古い写真が。

赤紙で徴兵される前の写真。

おそらく、昭和16年(1941年)頃かと思います。

スーツ姿の父。

大正5年(1916年)生まれだから、25歳くらいかな。

和服で座っているのは母。

だっこしているのは長女で、昭和15年(1940年)生まれ。

わたしとちょうど一回り上の辰年生まれです。

母は45歳の若さで天国に。

父は92歳まで長生きしました。

生き残った戦友とずっと親交がありましたが、80歳くらいになるとどんどん仲間がいなくなり。

一番長生きした方だと思います。

長女は残念なことに69歳の若さで亡くなりました。



今から、74年くらい前の写真です。






軍服姿の父。

戦地に向かう前に記念に撮ったのでしょう。





昭和16年に徴兵され、タイ、ビルマ戦線に送られました。

ビルマ(現ミャンマー)では、最も悲惨な作戦のひとつと言われた、インパール作戦にも。

日本が降伏して捕虜になり、日本に帰れたのは昭和21年6月のことでした。

軍人といっても、ごく普通の若い日本人男性が徴兵で兵隊となり、国のために戦ったのです。


戦争はやらない方がよいに決まってます。


日本はあまりに大きな戦争に負けたので。


極東の島国日本がアメリカを始めとした連合軍と戦ったのです。


敗戦国は戦争の正義を語ることは許されない。

徹底的に、日本が二度と立ち上がれないように巧妙な作戦が遂行されました。


でも、考えてほしい。



なぜ、日本は戦争という最終手段に出なければならなかったのか?


戦争しなければどうにもならないほど追い詰められたのです。


このことを書き出すととまらないのでやめておきます。



古い写真を眺めて。


歴史に「もし」はないが。


人間ひとりの人生とはなにか?



運命とは?



生まれ育った時代により人生はまったく違うものに。



ふと、そんなことを思ったのであります。

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