82歳になられました。
会見で、先の戦争で命を落とされた軍人以外の人々、海外の人々にも深い思いを寄せておられました。
今の、うかれた日本人は、12月24日クリスマスイブを楽しんでいる。
祭日でもないし、キリスト教でもないのに。
古い写真が。
赤紙で徴兵される前の写真。
おそらく、昭和16年(1941年)頃かと思います。
スーツ姿の父。
大正5年(1916年)生まれだから、25歳くらいかな。
和服で座っているのは母。
だっこしているのは長女で、昭和15年(1940年)生まれ。
わたしとちょうど一回り上の辰年生まれです。
母は45歳の若さで天国に。
父は92歳まで長生きしました。
生き残った戦友とずっと親交がありましたが、80歳くらいになるとどんどん仲間がいなくなり。
一番長生きした方だと思います。
長女は残念なことに69歳の若さで亡くなりました。
今から、74年くらい前の写真です。
軍服姿の父。
戦地に向かう前に記念に撮ったのでしょう。
昭和16年に徴兵され、タイ、ビルマ戦線に送られました。
ビルマ(現ミャンマー)では、最も悲惨な作戦のひとつと言われた、インパール作戦にも。
日本が降伏して捕虜になり、日本に帰れたのは昭和21年6月のことでした。
軍人といっても、ごく普通の若い日本人男性が徴兵で兵隊となり、国のために戦ったのです。
戦争はやらない方がよいに決まってます。
日本はあまりに大きな戦争に負けたので。
極東の島国日本がアメリカを始めとした連合軍と戦ったのです。
敗戦国は戦争の正義を語ることは許されない。
徹底的に、日本が二度と立ち上がれないように巧妙な作戦が遂行されました。
でも、考えてほしい。
なぜ、日本は戦争という最終手段に出なければならなかったのか?
戦争しなければどうにもならないほど追い詰められたのです。
このことを書き出すととまらないのでやめておきます。
古い写真を眺めて。
歴史に「もし」はないが。
人間ひとりの人生とはなにか?
運命とは?
生まれ育った時代により人生はまったく違うものに。
ふと、そんなことを思ったのであります。
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