大阪堂島で始まった米先物取引は統制経済時の食管法が始まるまで続いた。
(堂島の米先物取引は約100年後に始まったシカゴ穀物取引所のモデルになったと言われています)
今回の見送りをみて、
あぁ、まだ食管は終わっていないのかなと感じたのでありました。
先物取引は価格変動リスクを回避するために生まれた制度です。
投機的な取引をするイメージがありますが、それは現物を持たない投機家がするもので、その損得のリスクを指すものではないと思いますが、先物取引のイメージがそうするのでしょうね。
米取引価格をどのように決めるのか?
これも検討が進められています。
検討資料の一部です
生産量の三分の一程度しかありません
なにかって?
そういうところで決められる米の取引量です。
もちろん、そういう価格が指標にはなりますが・・・
当分の間揺れ動くでしょうね。
取引形態と価格の決め方は。
実態は先行して進んで行きますが。
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