昨晩は呑んだ。
姉を想い、呑んだ。
入院中に自分の半生を書いたノートがあり、それを見せてもらった。
昭和15年生まれなので、戦争中の強烈な出来事から始まる。
平塚が大空襲で燃え空が真っ赤に見えたこと。B29が低空を飛び防空壕に避難したこと。
戦後は混乱期だがとても楽しい少女時代を過ごした出来事。
父が戦争から帰ってきたのが昭和21年6月のこと。
このブログでも書いたことありますが、村の神社(寺も同じところにある)にある掘り抜き井戸から湧き出る水を飲んでから家に戻ったこと。
生まれてまもなく赤紙がきたので父親を知らない。
あまりに汚い身なりに怖くて近所の家に逃げたこと。
商売をしている家は活気に満ちていたこと。
税務署の査察があり、二重帳簿をうまく隠せたことなども書いてあった。(笑)
ほんとうに楽しい楽しい少女時代であったようだ。
日経新聞の私の履歴書を見ていて、いつも思うのは楽しいのは月の初め。
なぜかと言えば、子供時代のことを書いているから。
純粋な気持ちだから。
子供時代に恵まれた環境に育った人は幸せだと思う。
姉はその点、実に充実していたようだ。
写真もものすごい数をキチンと整理してある。
(小生とはえらい違いだのぅ)
少女時代に、生花や日舞、琴なども稽古していたので大事にされたのだろう。
69年という歳月は現代においては若いがそれも天命として受け入れるしかない。
小生のブログでも親のことや生まれ故郷のことなど書いた時は息子がパソコンを開いて読ませていたようだ。
メガネをかけて嬉しそうに読んでいたそうだ。
身内のみんなのことをいつも気にかけていた。
友達もたくさんいた。
まとまらない文章になってしまった。
すいません。
ほんとうにありがとう。
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市川 稔
緒方俊彦 JC米穀部会
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北のあざらし(えんどうゆきお)
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