市川稔の米(マイ)情報

トイレは文化

2008年北京オリンピックが開催されますが、公衆便所に、ドアも、仕切り板も無いことに衝撃を受け報道されています。これから、急ピッチで改造するのだろうが、文化の違いは大きい。江戸時代、江戸には私設のトイレがたくさんあったという。儲かったからだ・・・。

人間ほど雑食でなんでも食べる動物はいない。野菜でも、穀物でも、肉まで、自らが作り出しますからね。

それで、人間は長生きします。しかし、食べて吸収した残りは排泄します。これは毎日のことです。

私達は、食べることには関心が高いですが、毎日お世話になっている「トイレ」に感謝が足りないのではないか



現在のように、水洗式トイレがあたり前になったのは、つい数十年前のことです。

世界の都市では、トイレは大きな問題でした。
田舎は人口少ないし、自然がいっぱい残っているから、どこでもOKですが、都市部はそうは行きません。

中世ヨーロッパの都市部は、石造りで4~5階建てのアパートが多いですが、トイレは壷に用足ししていたようです。
捨てに行くのが面倒なので、窓から道路に捨てる。捨てるというか、落とすということですね。

おかげで、前の狭い道路は糞だらけ。

まぁ、日本人の感覚では信じられませんが、嘘のような本当の話です。

帽子もマントもハイヒールも、それを防ぐために発達したとか・・・

一方、日本のトイレ事情はどうだったのでしょうか?

江戸時代までは、国民の8割は農民ですから、地方というか、田舎は人口も少ないし、人糞は肥料にしていたようですし、貴重なものでした。

問題は、都市部ですね。

江戸には、公衆便所がいたるところにあったらしい。

設置するオーナーと、回収して、肥料として販売することが分業されていたようだ。

江戸は当時の世界の都市の中でも、人口100万人を数える大都市であった。農民以外の武士とその家族。いわゆる消費者が多く住んでいたわけですね。

その、トイレの回収、循環システムは、循環型社会の見本のようなものです。


現代は、上水道と下水道が完備され、トイレは水洗で流すだけになっていますので、その有難さが分かりませんね。

今では、お尻をお湯で洗うトイレがフツーになりました。日本人の清潔好きにピッタリあったのでしょう。

こういう、商品開発、技術開発は素晴らしいです。ノーベル賞ものだ!

今日は、トイレ談義でありました

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コメント一覧

懐中電灯
大家の収入源
http://net-ksk.cocolog-nifty.com/
江戸時代は「大家といえば親も同然、店子と言えば子も同然」落語の台詞ですが、長屋の便所のし尿は大家の収入源だったそうですね。家賃はその収入も見込んで決めていたと聞きました。江戸のし尿が越谷あたりまで運ばれて肥料になったそうです。循環型社会の手本です。参勤交代も大名が道中を練り歩いて消費して

歩くわけですから、これも循環ですが公共工事のように資材の無駄も少なくて効果的な公共工事です。ベルサイユ宮殿にもトイレがなく、貴婦人は召使がドレスの下にそっと偲ばせるおまるにして外に捨てたといいますから、ウォッシュレットといい日本人の清潔好きは今はじまったことではないようです。最近は行き過ぎて少々病的ですが。
米爺
日本のトイレ論
 昔の日本には、主に西日本中心に「若者宿」という風習があって、村の若者が月に何度か集まって泊りがけで祭の相談や農作業の打ち合わせをしたそうです。若者の宿泊する家は、村内の家を順繰りに回る順番制で、なぜそういうことになったかというと、若者は泊まれば必ずその家で大便をするからです。それがその家の貴重な肥料になったわけで、つまり健康な若者の大便を村中の家で公平に配分しようということ。日本人は糞を大切に利用しました。だから日本の海はきれいで、そこに住む魚も清浄で、日本人は刺身を食べるようになったのです。日本近海の魚が美味いのは、ぼっとん便所と農業のおかげでした。さて、水洗便所になってしまった今は・・・。
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