人間ほど雑食でなんでも食べる動物はいない。野菜でも、穀物でも、肉まで、自らが作り出しますからね。
それで、人間は長生きします。しかし、食べて吸収した残りは排泄します。これは毎日のことです。
私達は、食べることには関心が高いですが、毎日お世話になっている「トイレ」に感謝が足りないのではないか
現在のように、水洗式トイレがあたり前になったのは、つい数十年前のことです。
世界の都市では、トイレは大きな問題でした。
田舎は人口少ないし、自然がいっぱい残っているから、どこでもOKですが、都市部はそうは行きません。
中世ヨーロッパの都市部は、石造りで4~5階建てのアパートが多いですが、トイレは壷に用足ししていたようです。
捨てに行くのが面倒なので、窓から道路に捨てる。捨てるというか、落とすということですね。
おかげで、前の狭い道路は糞だらけ。
まぁ、日本人の感覚では信じられませんが、嘘のような本当の話です。
帽子もマントもハイヒールも、それを防ぐために発達したとか・・・
一方、日本のトイレ事情はどうだったのでしょうか?
江戸時代までは、国民の8割は農民ですから、地方というか、田舎は人口も少ないし、人糞は肥料にしていたようですし、貴重なものでした。
問題は、都市部ですね。
江戸には、公衆便所がいたるところにあったらしい。
設置するオーナーと、回収して、肥料として販売することが分業されていたようだ。
江戸は当時の世界の都市の中でも、人口100万人を数える大都市であった。農民以外の武士とその家族。いわゆる消費者が多く住んでいたわけですね。
その、トイレの回収、循環システムは、循環型社会の見本のようなものです。
現代は、上水道と下水道が完備され、トイレは水洗で流すだけになっていますので、その有難さが分かりませんね。
今では、お尻をお湯で洗うトイレがフツーになりました。日本人の清潔好きにピッタリあったのでしょう。
こういう、商品開発、技術開発は素晴らしいです。ノーベル賞ものだ!
今日は、トイレ談義でありました
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米爺
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