今朝の中日新聞の記事。
内山節先生の「視座」より。
「すべてのことには、それを実現するために必要な時間量があると思っている。
たとえば米を作ろうと思えば、種籾をまいてから収穫するまでにおよそ半年の時間が必要である。
品種改良によって多少短縮することはできても、ひと月で米を収穫することはできない。
子どもが大人になるためにも、地域社会が生まれるためにも、必要な時間量がある。
だから何かを始めようとするときには、必要な時間量を保証する覚悟を持たなくてはならない。
ところが、今日の社会では、必要な時間を大事にするという精神がなくなってきた。
インターネットを使えば、瞬時に情報が飛び交っていく。
グローバル化した社会では、たえず競争のための改革をしつづけなければならなくなった。
こうして、いつの間にか、必要な時間量という発想を持たない時代が生まれてしまった。
だがそういう社会になっても、自然や人間は、変化を受け入れていくのに必要な時間量があることに変わりはない。
それを無視すれば、自然も人間もストレスにさらされ、最終的には自然や社会の荒廃につながっていく。」
この記事は外国人労働者の導入問題についてですが、
上に書き出した部分を読んで、まさしくそうだなぁと思いました。
・すぐに結果を求める。
・自分でじっくり考えない。
(立ち止まって心を見つめない)
・私はどうしたらいいの!? 教えてよ!と答えを人に求める。
じっくりね。
内山節先生の「視座」より。
「すべてのことには、それを実現するために必要な時間量があると思っている。
たとえば米を作ろうと思えば、種籾をまいてから収穫するまでにおよそ半年の時間が必要である。
品種改良によって多少短縮することはできても、ひと月で米を収穫することはできない。
子どもが大人になるためにも、地域社会が生まれるためにも、必要な時間量がある。
だから何かを始めようとするときには、必要な時間量を保証する覚悟を持たなくてはならない。
ところが、今日の社会では、必要な時間を大事にするという精神がなくなってきた。
インターネットを使えば、瞬時に情報が飛び交っていく。
グローバル化した社会では、たえず競争のための改革をしつづけなければならなくなった。
こうして、いつの間にか、必要な時間量という発想を持たない時代が生まれてしまった。
だがそういう社会になっても、自然や人間は、変化を受け入れていくのに必要な時間量があることに変わりはない。
それを無視すれば、自然も人間もストレスにさらされ、最終的には自然や社会の荒廃につながっていく。」
この記事は外国人労働者の導入問題についてですが、
上に書き出した部分を読んで、まさしくそうだなぁと思いました。
・すぐに結果を求める。
・自分でじっくり考えない。
(立ち止まって心を見つめない)
・私はどうしたらいいの!? 教えてよ!と答えを人に求める。
じっくりね。
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