【将棋】山田定跡をひたすら称賛するブログ

居飛車急戦党が、日々の対局記録を綴ります。
活動場所はリアル(将棋道場)がメインです。
あと、本の感想が少々。

買ってて良かったオックスフォード現代英英辞典(OALD)

2024-08-22 22:36:35 | 言語学専門書

最近しれっと二段へ昇段しました(将棋連盟へ免状注文済)。これからは後手番を持つことが多くなりますから、居飛車後手番目線の急戦(対抗系)の棋書を探していました。すると、矢内先生の棋書[1]に、後手番での(△6五歩)早仕掛けが解説されているみたいなので、早速買ってみました。

この棋書では、駒組の途中局面が下図となっていました。

(振飛車の▲5四歩に対して、△4二金直・・・?)

(居飛車が先手の場合、6九金型で早仕掛けをしたいんだけど、▲4六歩に対して玉頭銀(△5四銀)に構えられるのが嫌だから、▲6八金直、△5四歩の交換を入れてから早仕掛けを狙うんだったよね(※)。居飛車が後手の場合、振飛車が先に▲5四歩を突いてるから、わざわざ△4二金直を入れる必要無いのでは?)

(上述の(※)の見解は、藤井先生や渡辺先生の棋書(各々2004年[2]と2005年[3])に示されている。しかし、矢内先生の棋書はそれより後(2009年)の出版にもかかわらず、先手番早仕掛けの節(p.102-149)においてすら、(※)についての見解が示されていない。)

(そもそも、この時代になると居飛車先手番は6九金型が主流じゃなかったっけ?青野先生(2005年)も6九金型で4六銀左戦法を解説してるし[4]・・・)

きっと悪い夢でも見たのでしょう。そういうことにしておきましょう。

 

さて、本題に入ります。私はパンクロック(洋楽)について、曲が気に入ったらその歌詞を読むのですが、自身の拙い語学力のために意味が取れない語句にしばしば出会います。もちろん、手元の英和辞典(ジーニアス第三版、大修館書店)で調べはしますが、いまいちピンときません。そこで、以前に購入した英英辞典がどーん!

(旺文社Webページ)オックスフォード現代英英辞典 第10版

(著作権上の問題により、表紙画像をブログに載せられません。悔しい!)

今のところ、私が調べた語句はちゃんと解説されています。以下、1つだけ例を挙げます。(OALD:オックスフォード現代英英辞典の略称)

 

blink-182のアルバム"Neighborhoods"の楽曲の一つに"This Is Home"というものがあります。 その歌詞の一節である

"Do you wanna let go?"

の"let go"が私には異様に映ります。"let"という動詞(verb)は"S V O do"の形を取るんじゃなかったっけ?

それで、OALDを当たってみると・・・ありました。いくつかの意味が示されていますが、その内の

"let go (of sb/sth) 1. to stop holding sb/sth"

が文脈上該当するでしょう。カズオ・イシグロの"Never Let Me Go"と同じ使い方ですね。したがって、私なりに和訳しますと、

「(あなた方は)私の手を離してくれないか。」

といった所でしょうか。歌詞全体のテーマである「封建社会から脱出して精神の自由を獲得する」にも調和しているように思います。

これからもパンクロックの和訳をどんどん発表したいのですが、著作権法との兼ね合いがあるので、一曲当たり一節に留めておきます。

 

【参考文献など】

[1] 矢内理恵子、「矢内理恵子の振り飛車破り」、マイコミ、pp. 150、2009年

[2] 藤井猛、「四間飛車の急所3 急戦大全【下】」、浅川書房、2004年

[3] 渡辺明、「四間飛車破り 【急戦編】」、浅川書房、2005年

[4] 青野照市、「鷺宮定跡 歴史と最先端」、MYCOM、2005年


後手四間飛車1二香型に対する山田定跡の仕掛けについて

2024-08-20 22:50:00 | 将棋

当ブログにて実名を公表するにあたって、「匿名表現の自由」というものを調べてみたところ、法学の観点だけでも様々な議論があるようです[1]。他にも哲学・文学・社会学など観点からも様々な意見があるでしょうし、正直言って私はこれらに追いつけていないです。

私が「顕名(匿名の対義語)」でブログを書くからといって、匿名ブロガーの方々を低く見ている訳ではありません。意見表明について「私自身がどうしたいか?」が関心のある問題であって、「他人がどうあるべきか?」は私の問題の範囲外です。

最近、ショウペンハウエルを読みましたが、当時(1850年頃)も、顕名の文学作品に対する匿名批評を集めた雑誌があったそうです。「匿名のペンで攻撃する者が、読者を欺き安全無事な位置から他人の名誉棄損を企てているという嫌疑を自らこうむるのも、当然である[2]。」はい、文学の世界ではそうでしょうね。私もAmazonで小説を買う際は、レビューや☆の数はあまり見ないです。

しかし、政治上の言論シェルターとして匿名表現の自由は必要でしょうし、世間の目が厳しいなら一種の逃避所も設けるべきでしょう。

 

さて今回は、5七銀左急戦vs後手四間飛車について考えたいことがあります。下図における振飛車の候補手としては、①6四歩、②5四歩、③1二香、④4三銀の4つがあります(あとは1四歩もあるかな)。私の将棋の先生は、初級者には②5四歩を薦めています。①③は山田定跡(斜め棒銀)への対処が難しいから。④は玉頭銀を指すのが難しいから。

あれ、③1二香に対して山田定跡(下図)って成立するっけ?確認のために青野九段の棋書[3]を読んだところ、確かにこれは、振飛車の方に予備知識が求められる変化が多いです。

以下は青野九段の手順をなぞるだけなので、重要局面の紹介だけに留めます。振飛車の常套手段である△3三角~△2二飛のぶつけには、▲6六桂と受ける手があります。角筋を受けただけのようですが、もう一つ、恐ろしい狙いがあります。普通は振飛車にはバレないでしょうね。

なので、手順中の▲2四同銀に対しては△3四銀とかわすのが本手とされています。1二香型のため、▲8八角などは厳しくないんですね。▲2三銀不成で振飛車がピンチに見えますが、振飛車が上手く切り返してさばく順があります。しかし、この順も普通は思い付かないでしょう。

冒頭にお示しした振飛車24手目の候補手は、歴史的に古い順から、①6四歩=②5四歩<③1二香<④4三銀となります。①6四歩は当時の模様重視の将棋観に基づくので、今の将棋には馴染みにくく除外しても良さそうです。敢えて古い②5四歩を指して端角定跡を受けて立つという先生の指導方針は、金子金五郎先生の名言「定跡とは歴史です」を地で行くものだと思います。古い指手の意味が分かって初めて、新しい指手の意味が理解できるというものです。

 

【参考文献など】

[1] 海野敦史、「匿名表現の自由の保障の程度 米国法上の議論を手がかりとして」、情報通信学会誌、vol. 37、No. 1、pp. 1-12、2019年

[2] ショウペンハウエル著、斎藤忍随訳、「著作と文体」(岩波文庫「読書について 他二篇」より)、pp. 50、1960年

[3] 青野照市、「鷺宮定跡 歴史と最先端」、MYCOM、2005年


私の将棋ノート

2024-08-19 19:14:27 | 将棋

私は、将棋の練習において、対局後に自分なりの反省点や見解などを文章にまとめるのを重視しております。

以前は自宅のPCで、重要局面をパワーポイント1枚(下図)にまとめていたのですが、書いたことが記憶から薄れやすく、不満を感じておりました。

最近、将棋道場へ新しく通いだした子供がいまして、その子は対局後に自分のノートに何かを書き込んでいました(中身は見ていません。その子のプライバシーですから)。

私は、その子の年齢では学校ですらノートを取らなかっただけに(理由は別のブログで説明)、局面評価を自分なりの言葉で表現しようとする姿勢になおさら感心しました。そこで、その子のやり方を自分も取り入れることにしました。

 

ノートといっても白紙に9×9マスを手書きするのは大変なので、白紙の局面図がフォームとして用意されているのが好ましいです。そこで、ネットで探していたら以下の商品を見つけました。

株式会社いつつ 将棋ノート

株式会社いつつ様は、中倉彰子先生が運営されています。株式会社を設立するハードルは会社法施行で下がったとはいえ、将棋界ではまだまだ珍しいことです。他に知っているのは、株式会社ねこまど様ぐらいです。

 

中倉先生の代表取締役メッセージ[1]には共感するところが多いです。一部を抜粋させて頂きますと。

私は将棋という世界で生きてきましたが、プロの世界は勝ち負けの世界である一方で、勝ち負け以外にも多くの価値があります。子供達に将棋を伝えていく中で、その価値に気がつきました。(以下略)

同社の将棋ノートにも、中倉先生の上記のお考えが反映されているものと期待して、購入させて頂きました。今はこんな風に使っています(※1)。ノートの効果について私が感じたことは、改めて別のブログで取り上げます。

職場では殆どの文章をPCで作成するので、将棋ぐらいは手書きで文章を書く方が、バランスが取れて良いでしょう。手書きという身体活動が学習に与える効果は、佐藤健二氏の社会学的な考察[2]が分かりやすいと思います。

ただし、手書きしさえすれば良いというものではありません[3]。自分で考える手段として手書きがある訳でして、行為主義を認めることはできません。

 

(※1)将棋ノートのフォームや構成には著作権が発生する可能性があるので、事前に写真掲載の許可を株式会社いつつ様から頂いております。

 

【参考文献など】

[1] 「いつつについて|株式会社いつつ」、https://www.i-tsu-tsu.co.jp/about/?_ga=2.113861639.1827194630.1723856921-655802062.1721189510、閲覧日2024年8月17日

[2] 佐藤健二、「論文の書きかた」、ちくま学芸文庫、2024年、pp. 230-233

[3] 石郷岡知子、「高校教師 放課後ノート」、平凡社、1993年、pp. 41-49


四枚落ちの下手棒銀の駒組について(長い前置き)

2024-08-15 17:59:32 | 将棋

今更ではありますが、将棋界にとって「定跡」とは何なのでしょうか?

私の手元にある新明解国語辞典第八版[1]では、「(将棋で)その局面で最善とされる、決まった指し方」とされています(※1)。最善とされる指し方は時代とともに変わりますから、定跡書は版を重ねてその内容をアップデートしていくものであるはずです。実際、(故)山田九段は過去の雑誌投稿に言及しつつ、新手順を掲載しておりました(例:△四間飛車5四歩型に対する斜め棒銀において、△6二角(打)(1964年)[2]⇒△5三角(打)(1969年)[3]へ変更。)

さて、上記のような気持ちで近所の大型書店の棋書コーナーを見てみると、タイトルに「定跡」を冠した棋書はあまり見かけません。「〇〇〇の基本」とか「〇〇〇のコツ」という棋書はありましたが。なるほど、出版業界で版を重ねるのは大変なことだから、そう易々と「定跡書」を名乗ることはできないでしょう。

しかし、書店の本棚をよく探してみると、所司七段の複数の棋書[4]-[6]は「定跡」を冠しているではありませんか。この特殊な出来事は、きっと、所司先生は難解な定跡手順をアマチュアに分かりやすく伝えようとする熱意があるために違いない(※2)、という風に、私は所司先生と山田先生を重ねてしまいました。今では自身の身勝手さと世間知らずさを反省しております。

(※1)もちろん、辞書は一般人が持っている共通認識を言語化したものであって、専門家(プロ)の認識とは異なることはよくあります。しかし、棋書は一般向けに販売されるのですから、辞書的な意味を考慮しない訳にはいかないはずです。

(※2)奥付に重版が為されていないのを確認してはいましたので、当時も全く鵜呑みにしていた訳ではなかったです。

 

勝手な思い違いをしている人間(ブログ主)には、遅かれ早かれ天罰が下るものです。問題の局面(四枚落ち)は下記です。

上図は、所司七段の「【新装版】駒落ち定跡」[7]のp. 75と同一局面です。同書では▲1四歩、△同歩、▲1二歩、△5二金、▲1四銀、△1三歩とされており、以降も手順は長いですが、下手は銀桂交換の駒損ではあるものの、成香を作って下手十分な岐れとなります。確かに、私の将棋の先生も、以前はそのように対応されておりました。

しかし最近、将棋の先生は上記手順の途中で変化されるようになりました(変化手順は先生の営業秘密なので伏せます)。こうされると、下手の狙いだった成香作りが不可能になります。

この変化手順の評価値(水匠5[8])は本手順よりも下手有利に傾くので、下手が正しく咎めれば優勢になる類のものかもしれません。しかし、アマチュアに新しい狙いを探させるように仕向けて思考を追い付かなくさせるのは実戦的なテクニックだと思います。加えて、別の将棋の先生からも、「自分も30年前、奨励会時代にプロの先生に指されたことがある」との証言を得ていますから、この変化手順は当時から一部のプロ棋士にとっては知られていたと推定します。これは所司七段の「駒落ち定跡」が書かれた2000年より前のことです。奨励会でも指されるくらいなのですから、この変化手順は本手とせずとも簡単に触れてもよかったのではないでしょうか。

そもそもの話になりますが、よく考えてみると、2000年に書かれた定跡書を同じ内容で2023年に新装版として出版するのは、冒頭でお示しした定跡の辞書的な意味を鑑みると不自然です。普通の学術書なら、新版や増補版などを出版するところです。

 

専門家(プロ棋士)で使われる用語が含意することが、辞書に縛られる必要は全くありません。それでは、プロ棋士の方々は定跡という用語をどのような意味で捉えているのでしょうか?私の将棋の先生は、「定跡は一つの道しるべだ」と仰っていました。なるほど、定「跡」という漢字の当て方に対応する上手い比喩です。一方で(故)山田九段は、「定跡は広い意味で『本筋』の集成である。私の経験からいえば、上達の近道は定跡によって『本筋』の形や手順を知り、実戦の経験によって『本筋』の意味をマスターすることである。」[9]としています。私の将棋の先生よりも強い意味が記されており、その内容もより正確です。そして、所司七段もご自身なりの意味を持って、定跡という言葉を使われているのでしょう。

つまり、プロ棋士といえども「定跡」という言葉が意味するところは、各人によって異なることが推測されます。これを哲学では「言語の問題」と呼ばれ、将棋界以外でもよく起こることではあります。それでも私としては、意味を統一しようとするのは労力に対して割に合わないと思うものの、将棋指導を進歩させるためにはプロ棋士同士が議論して、他人と自分が持つ用語の意味の違いを認識する努力は必要だと思っています(※3)。そうしないと、プロ棋士の定跡解説の客観性が弱いために社会的な信用が知らず知らずのうちに低下し、最近流行りの匿名ユーチューバの解説が益々世間を席巻することになるでしょう。とはいえ、現実にはプロ棋士の先生は明日の対局の準備に忙しいので、将棋の普及に関する問題は脇に追いやられがちなのも、構造的問題として認めなければなりません。

(※3)これは、私の仕事であるエンジニアリング(製品開発)でも重要と考えることの一つです。同じ業界であっても、使われる専門用語(ジャーゴン)は会社によって違うものです。

 

【参考文献など】

[1] 山田忠雄他、「新明解国語辞典」、第八版、三省堂、2020年

[2] 山田道美将棋著作集、第一巻、大修館書店、1980年、pp. 282-284

[3] 山田道美将棋著作集、第五巻、大修館書店、1980年、pp. 63-64

[4] 所司和晴、「駒落ち定跡コレクション404」、マイナビ、2019年

[5] 所司和晴、「四間飛車定跡コレクション404」、マイナビ、2018年

[6] 所司和晴、「中飛車定跡コレクション404」、マイナビ、2018年

[7] 所司和晴、「【新装版】駒落ち定跡」、日本将棋連盟、2023年

[8] たたやん氏Webページ、https://drive.google.com/file/d/1T-Go2KImMfKD_4m_j4fQFXrEfaGgAcS_/view、閲覧日2024年1月7日

[9] 文献[2]のpp. 4


角落ち下手側からの右四間飛車対策

2024-08-11 08:24:47 | 将棋

前々回のブログでは、他人の意見や主張への批判は、その人への人格批判に繋がり得ると申し上げました。だから、せめてもの誠意として、ブログに実名を公表致しました。

 リンク先:これからは実名でブログへ投稿します

上記について、世間一般ではどのように考えられているのでしょうか。一例として、ネット道場「81道場」を見てみます。利用規約に当該条項が載っていたので抜粋します[1]。

5. 棋譜・対局の公開の権利

5.3. 81Dojoで指された対局のシーンや棋譜を公開する場合、下記のルールを守って下さい。
公開物の中で、対局者を貶める描写・誹謗中傷をしないこと
  例) ○ 「相手の▲○○○の手が悪手で、勝つことができた」
        → 指し手自体に対する評価であるため可
    × 「相手が弱かったので、勝つことができた」
        → 対局者自身をマイナスに主観評価しているため不可

この説明に関する不満を二点申し上げます。一点目は主観というものに関してです。×(ばつ)とされるコメントではマイナスの主観評価が良くないとのことですが、私に言わせれば、〇(マル)とされるコメントだって当人の主観です。第一、対局相手は▲〇〇〇を悪手と思っていない可能性があります。尤も、「▲〇〇〇の手が悪手」という認識が客観的か否かについて社会調査をしたのなら分かります。しかし、個人のブロガーがそんなことは普通しないはずで、ならば当人の都合の悪い方(主観的)でとりあえず仮定するのが誠意というものです。

それに、〇(マル)のコメントの「相手の▲〇〇〇の手が悪手」というのは、「その瞬間は相手は弱かったこと」の特殊な形の一つといえます。一方、×(バツ)のコメントの「相手が弱かった」ことが、瞬時的か恒常的かのどちらであるかは文脈などから推測できません。なので、上記の〇(マル)のコメントは×(バツ)のコメントの特殊な形の一つとする余地があります。

二点目は評価というものに関してです。「勝ったこと」はもちろん事実ですが、「その原因が相手の▲〇〇〇の指手だった」とすることは仮説に過ぎません。仮説を述べること自体を評価といえるかどうかは、甚だ怪しいと私は思います。しかし一方で、利用規約の作成者はそれを評価だと考えるのは、どのようなイデオロギーから由来しているのでしょうか。例えば、論理実証主義(科学的仮説は、経験から論理的に実証できる)を信じるなら、前述した考えが得られるかもしれません。けれども、他人に「あなたの哲学上のイデオロギーは何ですか?」と伺うのは礼儀に反するので、これ以上考えるのは辞めておきます。

結局のところ、批判と誹謗中傷の明確な違いは、今回ご紹介した利用規約から得られませんでした。

 

前置きが長くなってしまい恐縮ですが、今回は角落ちにて下手が一直線に右四間飛車を狙う際の、上手の受け方を考えます。

最序盤は下図のような感じで。実戦では飛車先を直ぐに切ってしまったために、守りの陣立ちが遅れて負けてしまいました。なので、飛車先切りは権利として保留しておきます。

下図は大事な局面です。私なら二枚落ちの二歩突っ切り定跡のノリで、△2二銀と指したいです。

なぜなら、下手が右四間飛車を狙ってきても、以下▲3六銀、△3四歩、▲4八飛、△3三銀で4筋が受かるからです。

上図で水匠5[2]の評価値は、+658(初形)⇒+567です。局面が進んだにもかかわらず評価値が下がっているので、最善かは分かりませんが十分ではないでしょうか。

 

 

【参考文献など】

[1] 81道場|利用規約、https://81dojo.com/jp/terms.html、閲覧日:2024年8月11日

[2]たたやん氏Webページ、https://drive.google.com/file/d/1T-Go2KImMfKD_4m_j4fQFXrEfaGgAcS_/view、閲覧日2024年1月7日