以前から考えていたことだが、最近のSNS関連のニュースを見たことをきっかけに、これからは実名でブログへ投稿しようと思う。
2024年8月6日の読売新聞オンラインによれば、匿名のブログ投稿を名誉棄損だとして損害賠償を求めた訴訟において、被告に約120万円の支払いを命じる判決が下されたとのことだった[1]。このニュース記事では、投稿内容の一部が切り抜かれて紹介されていたため、前後の文脈を把握しようとブログを閲覧したが、残念ながら問題のブログ記事は削除されていた。
政府広報は「誹謗中傷と批判意見は違う」[2]としており、「相手の人格を否定または攻撃する言い回しは、批判ではなく誹謗中傷です。」[2]とのことだった。しかしこれだけでは、両者の違いは明確だとはいえない。
例えば、イデオロギー批判は話し手の意図に依らずとも、受け手の捉え方次第で誹謗中傷にも成り得るのではないだろうか。仮に私が資本主義を批判するとして、財閥の独占による経済停滞や、労働市場の失敗による児童労働の横行を具体的な論拠として、痛烈な批判を展開したとしよう。すると、資本主義者の多くは、その批判を理不尽なものと感じるだろう。それらの論拠は確かに事実ではあるが、恣意的に選ばれたものであるからだ。それに、イデオロギーへの批判はそれを信じる人々の価値観への批判とほぼ同じであり、価値観はその人の人格形成に大いに影響を与えるから、結局のところ私の論は人格批判、つまり誹謗中傷に繋がり得ると彼らは捉えだろう。
上記のように深刻に捉えるのは世間では稀だとしても、何かしら不快に感じる人々は多いかもしれない。というのも、私が他人の論を批判する際に、その論の論理的矛盾を取り上げる事は少なくて、むしろその方法論や認識論(広い意味でのイデオロギー)へ視点を向けることが多いからだ。それらは各人の主観的世界観を構築するので、私の批判行為はその世界観を部分的に侵すことにもなる。
だから、私がせめて出来ることは、批判は誠意誠実さに基づくという意思表示をして、相手が感じがちな不快感を軽減するぐらいだろう。その一環として、私の人格が投影された文章を書けるようになるために、今後は実名でブログを投稿しようと思う。良く考えたら、学術論文には署名が必須なのに、ブログには匿名投稿が一般的なのは変だ。たとえ個人の日記のような内容であっても、それを個人的なノートに記すのでは無くて、わざわざブログ投稿を選択するのは、自分なりの思いを他人へ伝えたいからだ。
【参考文献など】
[1] 読売新聞オンライン、「パリパラリンピック代表、名誉棄損で120万円賠償命令…「悪あがきもほどほどに」などと匿名投稿」、https://www.yomiuri.co.jp/national/20240806-OYT1T50223/、閲覧日:2024年8月9日
[2] 政府広報オンライン、「あなたは大丈夫?SNSでの誹謗中傷 加害者にならないための心がけと被害に遭ったときの対処法とは?」、https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202011/2.html、閲覧日:2024年8月9日
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