20代 憎悪は生きるチカラであった気がする
でも今はもう40代で モノの見方も そして生き方も ずいぶん変わった
昨日書いた
『なるほど 細胞(遺伝子)に刻み込まれた衝動から ニンゲンが解放されるには「肉体の死」しか無いのだな』
これは今における結論
それでも明日
僕らは生きなければならない
・システムや法で 衝動を律し
・倫理や道徳そして宗教等で 良心を育み
・芸術という祈りで 鎮めながら
さて…
それでもTやKという卑小さを目の前に突き付けられた時
瞬間的に 身体の奥底に封じ込めた筈の 僕の憎悪と暴力が目覚め 息を吹き返す
この現実に 先ず目が眩む
意識が遠のく
これはとある俳優に送ったメール
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もう僕は
刀を抜きたくないし
その刀を振り下ろしたくない
そして なにより
その刀を抜く瞬間に
この心身のすべてが 暴力的なものに支配される
そのこと そのものから
僕はもう 本当に解放されたいのです
その解放が「肉体の死」だけでは あまりに悲しい
救いが無さ過ぎる
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公演は延期なれど 稽古は続けている
作品と向き合い 身体とも向き合っている
それは主題と向き合うことだし 己そのものと向き合うこと
暴力と憎悪を
乗り越えなければならない
個としても 全としても
それは
20代の頃の反省も含め(今更だけれど)
それは
舞台において希望を 僅かでもいい 掴むために
掴もうとしたその痕跡だけでもいい 残すために
たとえそれが極めて困難で
もしかしたら 不可能なことなのだとしても
これはとある小説の抜粋
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世界の仕組みそのものが滅びと喪失の上に成り立っている
僕らの存在はその原理の影絵に過ぎない
風は吹く
荒れ狂う強い風があり
心地よいそよ風がある
でもすべての風はいつか失われて消えてゆく
風は物体ではない
それは空気の移動の総称に過ぎない
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稽古をしていると 森を見ることが多いのだけれど
TやKが現れたことで 木を見ることが増えた
そう言えるかも知れないね
まずは
卑小さを受け流すチカラ
それを僕自身がエトクしなければ
何も始まらないのかも知れない
長文お読み頂きありがとう
返信 無理しないで
また飲もう
【Mさんからの返信】
うん
本当の深いテーマだと思うなあ
人間の奥にある
肉食動物的な「他の命を奪い生きる」という事の記憶・記録がDNAに残っていて
知らずのうちに他の人間へマウントしてしまう…
ということもあるかも知れない
大昔の人間は飢餓状態で長い時代を過ごした
その大昔の「飢餓状態」の記憶が人には残ってる
みたいな話を聞いた事がある
そしてその「飢餓状態」に対応するように人間はチューンナップされている…
こう考えると妥当だなと思う事がまあまあある
そんなに食べなくても大丈夫なのに
食べられるときに食べ過ぎちゃうとか
そんなに人を攻めなくてなくていいのに
何故か攻めてしまうとか
こんな事を考えるよ…
【Mさんへのメール2】
おぉ 偶然と思えぬ言葉
いま稽古している戯曲にこんな台詞があるよ
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男:…動物は、飢えの恐怖や、性の欲求に促されて、死の危険がハラム空間へ出てゆく。それが旅であり、それがそのまま生きる、ということなのである
女:そうなの?
男:ん?…なにが
女:だから、飢えの恐怖や、性の欲求に促されて…
男:深く考えてみると、な
女:深く考えると、危険なのね
男:うん
女:飢えの恐怖や、性の欲求に促されているのね、深く考えると
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慧眼…
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯
以上
M氏の許可を得て
抜粋でした
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