良平のトロッコへの憧れを
純粋な子供らしい憧れのひとつとして捉え稽古を続けていた
しかしある日
良平の眼差しに、ここでは無い別の世界を求める渇欲が見えた
それが見えた時、トロッコの意味合いがまったく別のものとなった
貧しさや暴力、ヒステリーや差別
そういうものがもし良平の身近にあったならば…
トロッコは、新たな世界を切り開く移動手段の象徴となり
みかんの匂いは、その淡い希望となり
海は、まさに8歳の良平の無限の未来となった
石油のニオイにさえ別のイメージが宿った
良平の家の屋根裏にうず高く積もった書物、その活字のニオイ
その書物は良平に想像する喜びを与えたことであろう
クライマックス
良平は家に帰り着いた時、堰を切ったように泣きに泣く
あれは本当に、本当の家であったろうか
僕には異なるイメージが重なっていた
もしかしたらあったかも知れない温かな家
もしかしたらあったかも知れない暴力と差別の無い住処
もしかしたらあったかも知れない…
僕は誤読というか(イメージの飛翔といえば聞こえは良いが)
いわゆる普通の解釈と異なる読み方をどうしてもしてしまう面があって
それはこういう仕事をしていると良いこともたくさんあるのだけれど
いわゆる普通の解釈との乖離が激しいと当然困ってしまうことも起きる
そう、成立しなくなるのだ
良平の想像力の中で起きたかも知れない様々なイメージが
それに伴う複雑な感情が、芥川が描いた良平をも包み込み、不思議な時空となった
お客さんは僕がそんなことをイメージして演じているとは思ってもみないと思う
でも「ん?…この間はなんの間だろう…。あの所作はなんの意味だろう…」くらいは思ったかも知れない
それは芥川のトロッコと、オカノのトロッコのズレから生じるものでした
もし来年トロッコを再演することになったらそのズレをもう少し調整しよう
と思いながらこの文章を書き終える朝なのであった
おはようございます🌅

