羅生門の上の楼は、潜在意識や、肉体の細胞の核、その象徴に見え
老婆は、遺伝子に組み込まれた生存と繁栄のプログラムそのものにも
仏教で言う「執着」そのものにも見えた
下人は、この世界を生きざるを得ない我々であることは言うまでもなく
楼における下人と老婆の対決は我々の明日を決する重要なナニカであったのではなかったのかとさえ思えた
雨や雨音、カラスや風、夕闇などにも相応のイメージが不規則にそして断片的に重なりゆき
一瞬間ではあったがエノラ・ゲイが見えた
そして原爆投下後の広島長崎の焼け野原が見えた
累々と横たわる溶けた死骸のイメージは羅生門の楼の情景を蜃気楼のように覆い
息を飲む下人の姿を演じながら、僕自身が正に息を飲んでいた
作品最後の一行に、あらゆる事象を包み込む慈悲の感覚さえ芽生えた刹那あり
芥川の懐の深さに脱帽
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