お彼岸の終り頃でしたが、和歌山県へ梵鐘取付け、そして鐘楼完成の落慶法要へ行ってきました。
前日は嵐でしたが、住職様が晴れ男で法要当日は快晴。鐘の撞き初め式の後は村の子どもたちが集まって、ありがたいことに高台に上がり餅まきをさせて頂きました。
鐘を撞いて喜ぶ方々、餅やお菓子を嬉しそうに抱える子どもたち。まさに、お寺に村中の人達が集まる一大イベントでした。
活気溢れるお寺に村中の笑顔が集まる、こういう日本の原風景は残し続けていきたいものです。
お彼岸の終り頃でしたが、和歌山県へ梵鐘取付け、そして鐘楼完成の落慶法要へ行ってきました。
前日は嵐でしたが、住職様が晴れ男で法要当日は快晴。鐘の撞き初め式の後は村の子どもたちが集まって、ありがたいことに高台に上がり餅まきをさせて頂きました。
鐘を撞いて喜ぶ方々、餅やお菓子を嬉しそうに抱える子どもたち。まさに、お寺に村中の人達が集まる一大イベントでした。
活気溢れるお寺に村中の笑顔が集まる、こういう日本の原風景は残し続けていきたいものです。
今年のお彼岸は、個人のお宅に喚鐘を納めてきました。「父母、先祖の供養をしたい」という、その方のお気持ちから、お庭に鐘を吊り下げることになりました。ひたすらに父母の恩に報いるべきという、仏教の経典「父母恩重経」から、「父母恩重『鐘』」と名付けました。
また、七草がお好きな方でしたので、「寸草春暉」という親の愛情を表す四字熟語から「七草春暉」と彫文字をしました。
少し肌寒さが残る日中でしたが、鐘を吊るしたお庭は親心のような太陽に照らされて、温かく感じられました。
お施主様にも、またこうした先祖供養のお手伝いをさせて頂けるお仕事に感謝です!
*寸草春暉・・・父母の恩・愛情は大きく、それに子がほんのわずかさえ報いるのがむずかしいことのたとえ。▽「寸草」はわずかに伸びた丈の短い草。子の、親の恩に報いようとするわずかな気持ちのたとえ。「春暉」は春の暖かい陽光。親の子に対する愛情のたとえ。