こんにちは)^o^(
ふるさと泉の歴史を訪ね歩く「いずみ郷土史探訪」
10月は実沢を歩きました
↑熊野神社
口伝によると、国分氏の分流八乙女氏が主家没落後、伊達正宗により旧領を安堵されて、実沢八乙女に野谷地を賜り、八乙女館」に住んでおり氏神として勧請したとのことです(講師資料より)
↑実沢の田園風景…
↑十王堂
創建年代は不明 死者の極楽浄土への旅立ちを祈願して建立したと考えられています(泉史跡めぐりより)
十王とは死者の生前の善悪正邪を調べる十人の裁判官のことだとか…
中央に阿弥陀如来、左に閻魔、右に奪衣婆の並びと聞きました
↑新年には餅、正月14日にはあかつきがゆ、盆には温麺・ずんだ餅を供え供養するそうです
↑地元のTさんにご案内いただきました
↑山野内城跡に移動中
↑山登り状態です
↑熊野神社、七北田側を挟んで向かい側の絶壁を登りました
この城址は桃生郡山内首藤経俊の飛び地と伝えられています
1355年に須藤刑部(すどうぎょうぶ)定安が居住しましたが、子孫の須藤刑部定信が1584年に結城七郎朝光との戦いに敗れその後、泉区西田中に逃れましたが、最期は福岡川崎で自刃したそうです
残された婦女子も崖から身を投げて一族は滅亡したそうです…400年以上も昔の話…周囲は何の形跡も見当たりませんでした
↑みんさん、大変お疲れ様でした
ふるさと泉の歴史を訪ね歩く「いずみ郷土史探訪」
10月は実沢を歩きました
↑熊野神社
口伝によると、国分氏の分流八乙女氏が主家没落後、伊達正宗により旧領を安堵されて、実沢八乙女に野谷地を賜り、八乙女館」に住んでおり氏神として勧請したとのことです(講師資料より)
↑実沢の田園風景…
↑十王堂
創建年代は不明 死者の極楽浄土への旅立ちを祈願して建立したと考えられています(泉史跡めぐりより)
十王とは死者の生前の善悪正邪を調べる十人の裁判官のことだとか…
中央に阿弥陀如来、左に閻魔、右に奪衣婆の並びと聞きました
↑新年には餅、正月14日にはあかつきがゆ、盆には温麺・ずんだ餅を供え供養するそうです
↑地元のTさんにご案内いただきました
↑山野内城跡に移動中
↑山登り状態です
↑熊野神社、七北田側を挟んで向かい側の絶壁を登りました
この城址は桃生郡山内首藤経俊の飛び地と伝えられています
1355年に須藤刑部(すどうぎょうぶ)定安が居住しましたが、子孫の須藤刑部定信が1584年に結城七郎朝光との戦いに敗れその後、泉区西田中に逃れましたが、最期は福岡川崎で自刃したそうです
残された婦女子も崖から身を投げて一族は滅亡したそうです…400年以上も昔の話…周囲は何の形跡も見当たりませんでした
↑みんさん、大変お疲れ様でした