沖縄・台湾友の会

《台湾に興味のある方》《台湾を愛する方》《不治の病・台湾病を患ってしまった方》皆んなで色々語り合いたいものです。

鍛冶俊樹の軍事ジャーナル (2024年8月8日号) *台湾と朝鮮半島の地政学2

2024-08-10 11:26:43 | 日記
鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
(2024年8月8日号)
*台湾と朝鮮半島の地政学2
 だが、そもそも秀吉は、なぜフィリピンを攻略しようと考えたのか?その答えは秀吉の書簡の中に含まれている。書簡では「朝鮮半島から中国に入れば、フィリピンのルソン島に日本軍は容易に到達できる。そうされたくなければ日本と親善関係を持てばいい。この旨をスペイン国王に伝えよ」と言う趣旨だが、この時のスペイン国王はフェリペ2世である。当時のスペインは中南米の多くを植民地にしている世界的大帝国である。
 フィリピン総督府はスペインの出先機関だが、スペインとの交通・連絡は、やはり当時スペインの植民地であったメキシコを経由していた。つまり当時のスペインは中部アメリカを根城にしてフィリピンに進出しており、その状況は19世紀末にアメリカ合衆国がハワイとフィリピンを植民地にして東アジアに進出してきた時の地理的な位置関係と同じである。
 19世紀末、米国がハワイとフィリピンを植民地にしたとき、日本は非常な脅威を感じ、結局、この状況が20世紀における日米戦争の火種になったのだが、16世紀の秀吉は既に同様の脅威を感じていたと見ていいのではないか。
(続く)

悪魔の如き規制委の視線 ━━━ 櫻井よしこ

2024-08-10 11:24:03 | 日記
わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
                 頂門の一針 6953号 

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悪魔の如き規制委の視線
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櫻井よしこ

【美しき勁き国へ】 産経新聞令和6年8月5日号

 熱中症患者が急増中だ。7月、東京23区内で6年ぶりに100人を超え123人が熱中症の疑いで死亡した。うち9割超が60歳以上で、9割弱が冷房を使わずに死亡していた。

 国家行政組織法第三条に基づく委員会として強い権限を有する原子力規制委員会は中立公正の立場で原子力発電の安全性を確認し科学的に判断する責務を負う。だが、その責務を放棄し再稼働を不条理に阻止し続けた結果、日本の電力料金は世界最高水準だ。そうした中での悲劇の一つが熱中症死亡者の急増であろう。

 8月2日、規制委は福井県の原子力発電、敦賀2号機は新規制基準に適合しないという正式に結論づけた。注目の論点は2つだった。1)2号機の北方300メートルに位置するK断層と命名されたものは活断層か2)K断層は2号機の下までつながっているか─である。

 興味深いポンチ絵がある。敦賀2号機の審査を主導する規制委の石渡明氏が7月31日の規制委で、山中伸介委員長に報告するために用いた「K断層の活動性と2号炉原子炉建屋」の位置関係を示す図である。同資料ではK断層を示す赤い線は途中で消えており、2号機原子炉建屋の下には複数の破砕帯(ひび割れ)が走っている。K断層がどこまで続いているのか、石渡氏も証拠に基づく整理ができていないのだ。

 原子力学会で活断層リスクと工学的対策の調査報告書を取りまとめた東京工業大特任教授の奈良林直氏が指摘した。

 「日本原電は掘ったトレンチ(試掘溝)の地層や採取した試料に含まれる火山灰や鉱物などから活動年代を調べ、『K断層は古い年代の地層で活断層ではない』『原子炉建屋の下までつながっていない』と証明しました。しかし、規制委は『曖昧で、科学的根拠に乏しい』「K断層が将来動く可能性を否定できない」として退けました」

 2号機建屋の真下の岩盤は6500万年前頃に形成された花崗(カコウ)岩だ。ひび割れは長い年月動いていないことが証明されていて、K断層ともつながっていない。日本原電は規制委に否定された点をさらに証明するため追加調査を要請した。
 だが規制委は一切応じずK断層が2号機直下の既知の破砕帯の他につながっている証拠がないまま議論を打ち切った。追加調査でK断層が活断層でないこと、2号機建屋の下まで続いていないことがより鮮明に科学的に証明されたら不都合な真実になるのであろう。

 原子力工学が専門の東大教授の岡本孝司氏はこの規制委の筋書きを「空想小説」だと喝破した。

 AI(人工知能)、データセンターなどわが国は電力需要の大幅増に直面している。わが国は十分な電力を供給できるのか。世界的に高い水準の電力料金を妥当な水準に下げられるのかが問われている。非科学的判断で原発再稼働を阻止し、国民生活を貧しくし、わが国産業を弱体化させてはならない。電力料金の高騰で冷房も使わず亡くなってしまう人を増やしてはならない。

 原子力規制委員会の本来の役割は原子力産業の安全性を高め国民生活を豊かにすることだ。平成24年12月、政権を奪回した当時の安倍晋三首相は民主党の原発ゼロ政策の白紙撤回を表明した。しかし、菅直人元首相は、「そう簡単に元に戻らない仕組みを民主党は残した。その象徴が(自身が設置した)原子力規制員会だ」と述べ、具体例として日本原電敦賀原発2号機の活断層問題を挙げた(25年4月30日、北海道新聞)。原発再稼働を阻止し、原発ゼロを目指す菅氏のたくらみに沿った形で活動する規制委の原子力産業への視線は、敵対的で悪魔の如(ごと)しだ。

 例えば、欧米では原発に関する検査記録はすべて電子化されパソコンで閲覧可能だが、日本では必ず紙に転記して提出しなければならない。規制委が原発各社に要求する検査関連書類は概して10万ページ、厚さ10センチのパイプ式ファイルで150冊分、積み上げると15メートル、5階建ての建物に匹敵する。現在、青森県六ケ所村では規制委の要求する書類作りに体育館を借りて300人が汗だくで働いている。

 こうして作成された書類を規制委は皿の目で検閲し、誤字脱字を見つけてはそれをとがめ、やり直しを命ずるのだ。正に狂気の沙汰だ。

 こんあ規制委を国際原子力機関(IAEA)の専門家チームも厳しく評価している。2016(平成28)年初め、12日間にわたって規制委の仕事ぶりを調査し暫定評価を公表した。規制委に対して改善すべき具体例として挙げたのが「もっと能力のある経験豊かな人材を集め、教育、訓練、研究および国際協力を通じて原子力と放射能の安全に関する技術力を上げるべきだ」という点だった。

 「能力ある人材を集めよ」とIAEAに指摘された恥ずべき存在が規制委だ。現在、欧米各国では小型モジュール炉(SMR)や革新炉の建設が始まっている。米国の大学ではキャンパスにSMRやマイクロイアクター(超小型の原子炉)を設置する動きもある。IAEAの特別チーム、米国原子力規制委員会(NRC)が大学と協力して計画は進行中だ。東工大特任教授の奈良林直氏が苦笑した。

 「日本の規制委はおそらくSMRに関して10年以上の活断層審査をするのではないか。でも彼らにはSMRの知識もありませんから審査そのものができないでしょう。このようにしてわが国の科学技術の進歩はせかいからどんどん遅れていくのです」

 菅氏が強い敵意をもって原発潰しのために作った規制委が高い独立性を持った三条委員会であるという事実に恐れをなして、自民党は対策をたてられないでいる。情けない。

 国民と国益のため、IAEAの助言のようにもっと能力のある経験豊かな人材を規制委に任命せよ。その上で、どの国でも普通に行われている規制委と政治の対話を怠るな。国民生活を安全に豊かに、経済安全保障の土台として、安定したエネルギー供給をはかれるようにせよ。


ウォルツ知事がハリスの副大統領候補に   トランプ前大統領が批判。「人々の暮らしの安全を脅かす極左だ」

2024-08-10 11:21:50 | 日記
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)8月8日(木曜日)
     通巻第8360号  
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 ウォルツ知事がハリスの副大統領候補に
  トランプ前大統領が批判。「人々の暮らしの安全を脅かす極左だ」
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 トランプ前大統領はハリス副大統領が次期大統領候補として指名されたあと、「副大統領候補」に極左のティム・ウォルツ知事を選んだことにコメントした。8月7日、「フォックス」テレビに出演し、「このような(酷い)組み合わせはかつてなかった」と述べた。

 トランプはウォルツ知事を「極左、社会主義のサンダースと変わらない。民主党が大統領候補として進歩的な政治家を選んだことに感激している」と皮肉った。民主党は選挙対策で中西部の票の掘り起こしを狙っており、農業生産で中国との軋轢を抱えるミネソタ州など、ウォルツのようは反中派をあてれば激戦州でも勝てるのではという計算がある。

トランプは吠えた。「(ウォルツ知事は)不法移民を予防する壁も警備もなく、誰でもアメリカに入れるという政策を支持している。彼の知事としての実績を見れば、彼が(政治家として)まったくなっていないことは明瞭、彼はおそらくバーニー・サンダースと同程度だ」。
サンダース上院議員は自ら社会主義者をなのる風変わりな左翼政治家として知られる。

トランプ前大統領は、移民やトランスジェンダー問題からコロナ禍、ブラック・ライブズ・マター暴動まで、あらゆる問題に対する「中西部の知事」(ウォルツ)の極左的な“実績”をひとまとめにして、激しく非難した。
 MAKE AMERICA GREAT AGAINではなく、かれらの目標は
MAKE AMERICA COMMUNISM STATEだ

「ウォルツ知事はトランスジェンダーに非常に熱心で、素晴らしいと思っている。また発言の数々から、安全で平安なくらしを求める人々に対して非常に侮辱的だ。これはアメリカを再び偉大にするという目的に対して、まったく侮辱的だ」

バングラデシュは暴動から政権転覆。「黒幕はパキスタンと中国」とインド   インド紙は「イスラム過激派のテロリストが政変を計画していた」と報道

2024-08-10 11:17:35 | 日記
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)8月7日(水曜日)
     通巻第8359号  
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 バングラデシュは暴動から政権転覆。「黒幕はパキスタンと中国」とインド
  インド紙は「イスラム過激派のテロリストが政変を計画していた」と報道
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 8月5日、ハシナ首相はヘリコプターにとりあえずの財宝(スーツケース数個)を積んでパキスタン空軍基地からインドへ脱出した。嘗て「民主主義のイコン」といわれた彼女も15年間、権力の座にいるうちに“腐った”林檎になったのか。

 他方、自宅監禁になっていたジア前首相は自由の身になった。ジアは大統領未亡人で1991年に夫が暗殺されると首相となり五年間、バングラ国政を担った。BNP(バングラ・ナショナル党)党首でもあり、反ハシナ路線を唱え、2014年と2024年の総選挙をBNPはボイコットしてきた。

 学生による暴動で死者は430名以上、負傷者数千。幕切れは呆気なくハシナ逃亡とともに軍が暫定的に権力を掌握し、新政府顧問にムハメド・ユヌス(2006年度ノーベル平和賞、84歳)を迎える。ユヌスは”亡命先“のフランスからダッカへ戻る。
 当面は陸軍司令官のウエイカー・ウズ・ザマンが暫定政府を舵取りし「早い時期に総選挙を実施する」としている。

 学生たちの最初の要求は公務員枠の撤廃だった。これは建国の英雄(アブドラ・ラーマン)が主導した独立戦争で犠牲となった遺族の子供達が公務員の枠で優遇され、これが不公平というものだった。ハシナはラーマンのむすめである。なにしろバングラでは1800万人の若者に職がなく、数少ない輸出産業の繊維産業もコロナ禍以後、ZARAなどが工場を縮小したため不況に陥っていた。若い女性の500万人が繊維産業に従事しているが、中国資本の人使いの荒さにも不満が昂じていた。

 暴動は公務員枠の不公平が原因とされるが、これは口実でしかなく(すでに数年前にハシナ政権が撤廃を声明)、実際の狙いは政権転覆にあった。

 中核となったのは「ジャマート・エ・イスラミ」というテロリスト集団だ。現在の指導者は不明。だが、インド情報部によればアフガニスタンで軍事訓練を受けた形跡があるという
「ジャマート・エ・イスラミ」は1975年に結成され、一時期はBNPと連携していたが、ヒンズー撲滅などを唱えて過激化し、非合法とされて地下に潜った。
「ジャマート・エ・イスラミ」の過激学生セクトが「シャハトラ・シビル」と呼ばれ、イスラム同胞団、イスラムジハードならびにハマスと連携している。この「シャハトラ・シビル」が暴動を煽ったプロ活動家である。


▼習近平は「貸したカネを取り戻せるのか」と心配

 インドのメディアは政変の黒幕はパキスタンと中国とした。しかし中国は、むしろハシナ政権との癒着、巨額の汚職が問題であり、政権転覆でメリットはない。

 中国のBRI(一帯一路)は、合計1兆3400億ドルを世界165ヶ国に投じて、合計20000件のプロジェクトを展開している。

ハシナ首相が訪中はつい先日、24年7月10日のことである。
北京の人民大会堂でバングラデシュのハシナ首相と会談し、両国関係を「包括的戦略協力パートナーシップ」に格上げしたばかり。中国はバングラデシュに50億ドルを投じ、さらにハシナ政権は追加50億ドルを訪中時に要請した。習近平は、とりあえず10億ドルでどうかと打診していた。

またハシナは23年4月に訪日しており、独立以来バングラへの支援は巨額に登る。バングラ進出の日本企業はすでに340社、在留邦人は千名を超えており、安全確保が急務とされている。

 バングラデシュは世界銀行から195億ドルを借りており、年間の利払いだけでも2・5億ドル。日本のバングラデシュ援助は

 バングラデシュのテロ組織は、ほかにJMB(ジャマトゥル・ムジャヒデン・バングラ)がISILの影響下にあって、その分派が2016年に日本人7名を殺害したテロ事件を起こした。他にAAI(アンサール・アル・イスラム)がアルカイーデの流れを組むとされる。

鍛冶俊樹の軍事ジャーナル (2024年8月6日号) *台湾と朝鮮半島の地政学1

2024-08-10 11:15:59 | 日記
鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
(2024年8月6日号)
*台湾と朝鮮半島の地政学1
 豊臣秀吉は、戦前の日本では一番人気のある英雄だったが、戦後はそうでもない。なぜ戦前と戦後で評価が変わったのかと言えば、朝鮮出兵への評価が変わったからだ。
 戦前、朝鮮半島は日本領であったから、秀吉の朝鮮出兵は失敗に終わったとはいえ、先駆的な事業として評価された。戦後は日本領でなくなったので先駆的事業の意味は失われ、「愚挙」となった。

 だが日本が去った後の朝鮮半島は南北に分断され軍事的対立が先鋭化し、安定した状況であるとは言いがたい。日本が統治していた時代の方がはるかに平和で安定していたのである。
 これと類似した状況にあるのが台湾である。やはり戦前、日本が統治していた時代、平和で安定していたが、日本が去ったあと、平和と安定は失われた。

 日本は明治時代に台湾と朝鮮半島を併合し、大日本帝国を築いた。しかし台湾と朝鮮半島を攻略しようと初めて考えたのは豊臣秀吉だ。
 当時フィリピンはスペインの植民地であったが、秀吉が1594年、フィリピンの総督ルイス・ペレス・ダスマリナスに送った書簡には「余は朝鮮の城砦を占領し、その使者を待つために多くの我が軍を朝鮮に派遣せり。」「しかして支那(中国)に渡りたる後はルソンは容易に我が到達し得る範囲内にあり。願わくは互いに永久に親善の関係を保たん。カステイラ王(スペイン王)に書を送り、余が旨を知らしむべし。」

 1597年に日本で処刑されたスペイン司祭は、死の直前にフィリピンの副総督アントニオ・デ・モルガに手紙で、秀吉は「琉球及び台湾島を奪わんと企てつつあり、しかしてここよりカガヤン(フィリピン最北端)に兵を差し向け、もし神が彼の進撃を抑止せねば、やがてマニラに殺到すべし。」と書き送っている。
 これらを見ると秀吉は朝鮮半島から中国大陸、そして台湾に至り、そこからフィリピンを攻略する意図を抱いていたことが明らかであろう。

 フィリピンは、19世紀末に米国の植民地となり、第2次世界大戦では日米の戦場となった。独立後は日米との緊密な関係を保っている。
 現在において、日本、韓国、台湾、フィリピンは同盟関係を形成しつつあるが、この地政学的連関を世界史上初めて認識したのが秀吉だったのである。
(続く)