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米国務省、ベラルーシからもアメリカ人の退去を勧告   ウクライナの米大使館は誰もいなくなった。ミンスクもまた?

2022-02-18 11:57:17 | 日記
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和四年(2022)2月18日(金曜日)
     通巻7223号 <前日発行>
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 米国務省、ベラルーシからもアメリカ人の退去を勧告
  ウクライナの米大使館は誰もいなくなった。ミンスクもまた?
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(以下は拙著『日本が全体主義に陥いる日』(ビジネス社)のベラルーシの章の縮約)

 日本からベラルーシの首都ミンスクへ行くにはモスクワ経由が一番近い。320人乗りのエアバスが毎日二便以上モスクワへ飛んでいるからである。ベラルーシはヴィザが必要な国だが、加えてロシアのヴィザも必要だ。ロシアと軍事同盟を結んでおり、ベラルーシはロシアの「国内」扱いとなっているからだ。

 モスクワに一旦、「入国」するとミンスク行きは「国内線」ターミナルにあった。出入国審査はかなり厳しい。ミンスク空港から街へ入る高速道路で目にした看板は英語、ベラルーシ語、ロシア語の順番。人々はロシア語、ついで母国語、若い人は英語も喋るがたどたどしい。ドイツ語のほうがよく通じる。

 ミンスクで雇ったガイドのO氏は東洋言語学者のアルバイト、日本にも二年の留学経験を持つ。夏目漱石が好きで、なかでも『心』を好むという正調日本語を操る紳士だった。
 歴史を振り返っても、ベラルーシはモンゴルに攻められたこともあれば、リトアニア公国、ポーランド大公国と主が入れ替わり、ナポレオンが通過し、ナチスが侵入し、ユダヤ虐殺にも手を貸した。

戦後はロシアに合体されて、「ソ連の一員」という悪夢の時代が長く続いた。このような経過の中でベラルーシ独自の歴史観は成立しにくく、ソ連時代の残滓として言語状況にロシア語優位がくっきりと残った。歴史学にも確乎としたものがない。誇るべき文化遺産が希薄だったからである。

 ベラルーシの国土の半分は森林。観光ガイドブックに謳われている「妖精の街ミンスク」などという惹句ゆえか、よく耕された広々とした畑の向こう、緑深い森の間からひょこっと可愛い妖精でも現れそうな、心和む景色が続いている。

そしてその緑と畑を潤しているのは大小数知れない湖だ。海の出口がなく、屹立する山脈もなく、標高400メートル足らずの丘が一番の高地だとか。台地と低地、湿地帯の緩やかな起伏が全土に展開され、小麦、ライ麦、大麦、そして酪農。いまはサトウキビの青々とした葉がどこまでも続いていた。

 ▼KGB本部、レーニン像が残った

 街にはレストランが多い。都心では郷土料理、イタリア料理やフランス系のしゃれたレストランが繁盛しており、赤カブ主体のボルシチスープが美味かった。グルジアからの美味なワインにもありつけ何よりも物価が安いので旅行者にとっては魅力的な街だ。
 ロシアのマンションがユーロ建てであるように、この国はマンションのローンは米ドル建てである。

 ベラルーシは二重構造社会であるようだ。
 広大な広場に屹立しているレーニン像の奧に、異様な、いかめしい建物。ガイドブックに何のビルかの記載もない。「おそらく旧共産党本部でしょう?」という筆者の推定にガイド氏は「そうだ」と小さく頷いた。外見上は廃屋、まるでがらんどうである。

 そこから二百メートルのところに不気味な、幽霊屋敷のごとき無機質な建物がある。これが悪名高き旧KGB本部だ。まさにオペラ座かと錯覚するほどに豪華な彫刻が玄関脇を飾り、しかし玄関は開かずの扉、職員は裏口から出入りする。この建物、しかも街のど真ん中に位置する。これもまたガイドブックに何の紹介もない。ガイドのO氏が教えてくれるまで分からなかった。

 対面の小さな公園の入口にはKGB初代議長だったジェリジンスキーの銅像があった。
 懐かしくも気味悪い名前である。撮影していたら「血まみれの男さ」とベンチに所在なげに座っていた初老の男が吐き捨てた。

 ベラルーシの人々は忍耐強く、恥ずかしがり屋、そして勤勉である。この点は日本人と似ている。つまりインモラルで行儀の悪い中国人は大嫌い。ところがその中国が15億ドルの投資を運んできたから外交では中国重視に傾き、ロシアのプーチンを慌てさせた。いかにもルカシェンコ大統領らしい狡猾な遣り方である。

 ▼シャガールもシャラポアもグロムイコもベラルーシ人だ

 ベラルーシの誇りはテニスのシャラポワ、かつてのグロムイコ外相。そして画家の巨匠として知られるシャガールだろう。

 夢と幻想、おとぎ話のような世界を描く、抽象的なリアリズムで知られるシャガールはベラルーシ生まれのユダヤ人でフランス、米国にながく暮らしたが、ミンスクの北東300キロのヴィテプスクという街が故郷だ。それを聞いて車を飛ばして行ってみた。往復九時間の強行軍となった。

 ヴィテプスクの人口は37万強。繊維産業とトラクター、農薬、肥料の他、ロシアとの国境に輸出特区があり、また製薬産業が有名である。市内には薬科専門大学もある。
 しかし町を歩くと嘗て20万人もいたユダヤ人街はあとかたもなく、ナチスに協力したユダヤ人虐殺の跡地を埋めて完全に消し去った。ポーランドのアウシュビッツのような収容所跡も完全に消され、シナゴーグの残骸がひとつだけあった。

 ユダヤ人だったシャガールはベラルーシの人々にはつつましやかな誇りであるようだ。生家跡記念館、アートセンターはひっそりとして、外国からの僅かな観光客の求めに応じている。地元の人々はあまり立ち寄らないらしいのだ。ドイツ人への憎しみはないらしい。ロシアに対しては好きも嫌いもなく、死活的に重要な国という位置づけである。 
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 このベラルーシからアメリカ人の退去を米国務省は在留米人に勧告した。キエフの米国大使館はすでに無人、幽霊屋敷化している。

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