祝!日墺友好150年!

日墺友好150周年音楽文化実行委員会公式ブログ
2019年11月のホイリゲ音楽ツアーやコンサートの情報をお届けします。

ヴィーナーリートの会 をご紹介します。

2019年03月26日 | 日記

みなさま、こんにちは。桜の開花の便りに心がワクワク致しますね。

日本もウィーンも春はやはり素晴らしい!!!

 

さて、前回は「ウィーン我が夢の街」ついて、興味深いエピソードをご紹介いたしました。

 

今日は、「ウィーン我が夢の街」をはじめ、素敵なヴィーナーリート(Wienerlied)をこよなく愛している方々がお集まりの、

『ヴィーナーリートの会』についてご紹介をさせて頂きます。

 

今回のヴィーナーリート・ホイリゲツアーにおきまして、11月19日㈫14時より

豊洲シビックセンターホールで行われます「ウィーン音楽フェスティバル」として

参加くださります。詳しくはまた次回お知らせいたします。

 

『ヴィーナーリートの会』

 

日墺文化協会(日本・オーストリア文化協会)にて2005年5月に発足いたしました。

 既に開催回数は160回を数えます。活動内容は、毎月一回、一曲のテーマ曲と2,3曲の復習曲を定めて、

歌詞の意味・発音練習・歌唱練習・CD鑑賞を致します。

ドイツ語・ウィーン語(ウィーンの方言・ヴィーナリッシュ)にはカナの付いた楽譜と歌詞カードを準備して、

楽しく言語で歌唱しています。取り組んだ曲目は50曲以上。

また、年に一回の独唱・斉唱発表会や納涼会、忘年会と懇親活動も活発に行っています。

2015年9月には河口湖にてメルビッシュ音楽祭「こうもり」を鑑賞の後、合宿も行いました。

 

また、例会50回、100回、150回、10周年記念などの記念会も開催しました。

2015年5月には、諏訪功先生、田辺秀樹先生、河野純一先生をお迎えしてご講演並びに

演奏をもいただき、東洋文庫 オリエント・カフェにて「10周年記念会」も開催いたしました。

 

ウィーンの心であるヴィーナーリートを、息の合った皆で楽しく歌い、更に広めることが出来ればと、

日々楽しく活動いたしております。

 

例会後のカフェタイムでは、ウィーンにご旅行された方々のレアなお話しや、レトロなお話し、

コンサートの話しや、なかなか手に入らない楽譜やCDのお話しと、毎回楽しいお話しに花が咲きます。

 

ご興味がございましたらば、日頃の例会にも是非ご参加、またはご見学にいらしてください。

ご連絡をお待ちいたしております。詳細をお知らせいたします。

 

この楽譜より多くの曲を歌いました。

 

ヴィーナーリートの会  http://home.u09.itscom.net/wien/ 

今まで取り組んだ曲目も載っています。どうぞご覧ください。

木暮ウルヅラ発起人の一人であり、歌唱指導も務めております

 


ウィーン我が夢の街 (Wien,du Stadt meiner Träume)

2019年03月15日 | 日記

オーストリアから日本に届いたものはたくさんありますが、ウィーン音楽、特に歌曲の中では、この「ウィーン我が夢の街(Wien,du Stadt meiner Träume)」が、おそらく一番有名でしょう。

今回のツアーでも、おそらくすべてのイベントプログラムで歌われることと思います。また、ご来場の皆様と一緒に口ずさむことができれば、さらに楽しいのではと今から楽しみにしています。

今日はこの「ウィーン我が夢の街」と、この曲を作詩・作曲したジーツィンスキーについて、少しだけ紹介したいと思います。

ルドルフ・ジーツィンスキー(Rudolf Sieczyński)(1879223日~195255)は、この1曲で世界中に名前を知られることになりましたが、最初から作曲家だったわけではなく、いわゆる今で言う公務員でした。

仕事の傍ら、作曲や文筆活動を行っていたのですが、『ある日の夕暮れ、カーレンベルクで一杯やった後(2~3杯と本人は書いていますが)、ワイン畑を降りる道すがら、ウィーンの街が夕暮れに美しく輝くのを見た時、あの有名なメロディー「Wien, Wien, nur du allen (ウィーン、ウィーン、お前は私の夢の街)」にあたる部分が浮かんだ』と自身の著書の中で言っています。

また彼は、同じ本の中で、『この曲は最初から大ヒットというわけにはいかず、いくつかのホイリゲで歌ってもらったりしたものの、鳴かず飛ばずの状態でした。』

しかし第一次世界大戦が、この曲の運命を変えました。』

戦地にいる兵士たちが、この曲を聞いていたのです。それは、遠い戦地に赴いた兵士にとって、故郷を懐かしく思う歌になりました。彼はあらゆるところの見知らぬ兵士から、軍事郵便でたくさんの便りを受け取った』と書いています。この歌は、いつの間にか、英語、イタリア語、フランス語、そして日本語にまで広がりを見せました。今ではさらに多くの言語の歌詞がついています。

彼は生存中に多くの曲を作曲し、またオーストリア作曲家協会の会長職にまでつきましたが、残念ながら現在の所、この曲以外は日本だけではなく、オーストリアにおいてもほとんど演奏されることがありません。しかし、ウィーン音楽、そしてウィーン歌曲において、大きな影響を与えた一人と言えるでしょう。

自身の著書に、次のようなことを書いています。

もし誰かウィーン歌曲に興味があり、作ってみたいと思うなら、次のような、私オリジナルのカクテルレシピを参考にしてください』

レシピの中からいくつかの材料を紹介しましょう。

まず最初に4分の1リットルのホイリゲワインを飲みましょう。酸っぱすぎず、甘すぎないものを』

ユーモアと心地よさは忘れずに。今の時代には必要なものです』

大切なことを忘れずに。神様と善良な心を。そして、可愛い娘と、プラター、ヨハンシュトラウスを、そしてニオイスミレを』

少しの哀愁を、苦しみの代わりに入れてください』

静かに待てばウィーン歌曲の味がしてくるでしょう』 

このような材料で、「ウィーン我が夢の街」は作られたのですね。

また彼は、著書「ウィーン歌曲・ウィーンのワイン・ウィーンの言葉(Wienerlieder Wiener Wein Wiener Sprache)」の中で、『ウィーン音楽とワインは切っても切り離せないもの』だと書いています。

今回、日本各地のレストランでは、どのようなワインを楽しみながら、音楽を聴いていただこうかと、今からいろいろなアイデアを考えていただいています。これはまさしくジーツィンスキーが言っている「一番よいウィーン音楽の楽しみ方」なのではないかと思います。

 

 


こんにちは!はにうたかこです。

2019年03月03日 | 日記

皆様こんにちは。

今回の「ヴィーナーリート・ホイリゲ音楽ツアー」で、

全日程を、通訳、そして歌手として同行いたします、はにうたかこと申します。

名前がひらがななのは、ひらがなで書くと「はにうたかこ」。

職業がわかりやすいかなと…


今回、実行委員代表のウルヅラさんと一緒に、企画を考え、

オーストリアにドイツ語でメールを書き、演奏曲目や演出などを一緒に考えています。

また、今回のツアーにご理解いただき、演奏の場を作ってくださっている、

レストランやワイン関連の皆様にもお会いしていますが、

個人的にオーストリアワインが大好きなので、

忙しいながらも楽しい毎日を過ごしています。

 

ウィーンのホイリゲ(ワイン居酒屋)では、アコーディオンやギター、またヴァイオリンを持った奏者が、

テーブルにやってきて演奏する、ホイリゲスタイルというのがあります。

大声で歌ったり、肩を組んだりはしませんが、

夏の夜風にあたりながらの、また秋の新酒を味わいながらのウィーン音楽は格別です!

今回のツアーでは、そういった本場の雰囲気をぜひ味わっていただきたいと思っています。

 

ワインと言えば、ヴィーナーリートにはたくさんのワインの詩があります。

少しご紹介させてください。こういう曲を歌います。

 

4分の1の「春」と、4分の1の「ワイン」そして、4分の1の「好き」があれば愛になる。

   「二人の心はワルツを奏で」より


テーブルに沈黙が流れた、それはキスの合図、ワインが二人の心に語りかける・・・

   「それはウィーンの恋の物語」より

 

おれたちゃ若い、かっこいい、さあ威勢よくホイリゲに行こう!

喉がかわいた、すっからかんだが、最後の金も使っちまおう!

ワインを飲めば、ゆっくり回る、

4杯×1/4リットル飲めば、なんでも二つに見える!そうすりゃ、コインが倍になる。

8杯×1/8リットル飲んだら家の古だぬきもきれいに見えるさ!

おれたちゃ若い、かっこいい、家に帰るのは明日の朝だ!

   「おれたちゃ若い、かっこいい!」より


もう一度行こうグリンツィングへ 飲もう、ワインを飲もう!

飲めば誰でも天国さ こんなにうまい飲み物を作ったのはきっと神様さ。

最後の一滴までうまいさ 飲もう、ワインを飲もう! 

   「もう一度行こうグリンツィングへ」より

 

日本では、ウィーン歌曲もホイリゲ音楽もなかなか触れる機会が少ないと思いますが、

これを機に、ぜひファンになっていただければと思います!

11月、皆様にお目にかかれることを楽しみにしています!