Michael Jackson ...
彼がこの世を去ってから、各メディアで多くの映像がON AIRされている。
僕はマイケル・ジャクソンのことを深くは知らなかったが、
ほぼ初めて目にする彼のパフォーマンスや歌、
そして、哀しみに暮れる人々の姿に、
彼がどれだけ偉大であるか、よくわかった。
マイケルFANの娘に観せてもらった映像の中で
興味深かったものがいくつかあった。
1989年に行われた Sammy Davis Jr.の芸能活動50周年を祝う会。
サミーといえば、エンターテイナーの神のような人。
JAZZも歌えばタップも踏み、TVでも活躍した。
日本でも、サントリーウイスキーのCMで有名だ。
多くの仲間が集まるその中に、マイケルもいた。
彼は、「You were There」という歌を サミーに贈った。
“あなたは、猛烈な差別の中、とても傷つき苦しみながらも、
あらゆる壁を壊し、道を切り拓いてくれた。
あなたがいてくれたから、
僕は今ここで ベストを尽くすことができるんだ。 ”
よく “マイケルは白人になりたかった”という話が出るけれど、
彼は肌が白くなる尋常性白斑という病なのだそうだ。
肌の色も関係なく愛されることにこそ、その真実があるのだと思う。
マイケルを瞬きもせずみつめるサミーの“両の瞳”、そして
歌い終えた彼に早足で駆け寄り抱きしめるサミーの姿が焼付いている。
この時すでに、サミーの癌は末期だった。
そして、その半年後にサミーはこの世を去る。
そしてもうひとつ、
2001年9月7・10日、NYマディソンスクエアガーデンで行われた
マイケルのソロ30周年のアニバーサリーコンサート。
(僕もNYへ行く度に MSGの前をよく通り、
想いふけって立ち止まった 思い出の場所のひとつだ。)
この時も、多くの仲間とファンがマイケルのために駆けつけた。
7日のファイナル、クインシー・ジョーンズの指揮で
『We are the World』 を 全員で歌っていたのだけど、
そこにはJAZZ界の巨匠たちの姿もあった。
フルートのハービー・マン、 ピアノのレス・マッキャン、
フリューゲルホルンのクラーク・テリー、
ハモンド・オルガンのジミー・スミス・・・
ジミー・スミスは、マイケルの代表曲のひとつ 『BAD』でも
オルガンを弾いていたというから驚いた。
僕の中で接点のなかったマイケルと JAZZが意外なところで繋がって、
とても親しみを覚えた。
クラーク・テリーは1983年、
「ケニー・ドリューTRIO with クラーク・テリー ツアー」で来松して、
その帰りの空港で、娘にペプシのおもちゃをプレゼントしてくれた。
(ちなみにマイケルはペプシのCMにも出ていたそうだ。)
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(これがそのおもちゃ。娘はまだ大事に持っているそうだ)
改めて、音楽のジャンルに壁はなく、人種も何も関係なく、
アーティストもファンも、音楽を愛する人達のあたたかい交流、
そしてそこにはかけがえのない愛と友情、熱い熱いソウルがあった。
ステージの隅々一人一人に「Thank you」と握手して回るマイケルは、
レイ・チャールズの所へ行ったときには、そっと彼の頬に手をやった。
目の見えないレイにも、それを見た僕にも、ぬくもりが届いた気がする。
マイケルの人柄がわかる。
ステージの上には、オノ・ヨーコさんの笑顔もあった。
そして、この2日間のコンサートを終えた翌日、
あの9.11テロがあったのだ。
マイケルも、とても心を悼め『What more can I give?』という曲を作り、
We are the World 同様その想いに賛同した多くのアーティストが参加。
残念ながらこの曲がリリースされることは叶わなかったそうだけど、
マイケル・ジャクソンとは、そういう人なんだな、と知った。
どの映像でも、いつも 「I LOVE YOU」 を唱えているのが印象的です。
病の苦しみに加え、度重なる攻撃に苦悩も多かったことと思うが、
彼の想いや音楽は、いつまでも絶えず人々を支えるだろうし、
人々も、彼を失うことはないだろうと思う。
お子さま、ご家族の気持ちを思うとたまらない。
マイケルのご冥福を、心からお祈りいたします。
合掌。
堤 宏文