ムラト・ナスィロフという歌手のことを知ったのはだいぶ前になります。
当時ロシア語の練習のために時々顔を出していた東京ロシア人会(通称「ミーシャの会」)で、ロシアのポップスの曲がいろいろ入ったサユーズというビデオを貸してもらい、その中に彼のMalchik khochet tambov(少年はタンボフを目指す)という曲が入っていました。
後になって、ブラジルのグループのカバーと知りましたが、インパクトのある曲と映像で、そのビデオの中で一番印象に残りました。
Malchik khochet tambov
https://m.youtube.com/watch?v=EW93pojria8
その後に、ムラト・ナスィロフの友人のロシア人の作家の方とお会いする機会があり、お話を伺ってから、ますます彼の曲を聞くようになりました。
カザフスタンのウイグル人。
アジア的な容姿にも親しみを覚えました。
その後何年か過ぎ、すっかり忘れていた頃に彼の訃報を聞きました。
才能があるシンガーソングライターであるだけでなく、ウイグル語がわからない聴衆のためにロシア語の歌詞も用意してコンサートに臨むなど、アーティストとして尊敬できる方です。
亡くなったのは残念ですが、彼の残した曲がこれからも世界中のいろんな方に聞かれますように。
当時ロシア語の練習のために時々顔を出していた東京ロシア人会(通称「ミーシャの会」)で、ロシアのポップスの曲がいろいろ入ったサユーズというビデオを貸してもらい、その中に彼のMalchik khochet tambov(少年はタンボフを目指す)という曲が入っていました。
後になって、ブラジルのグループのカバーと知りましたが、インパクトのある曲と映像で、そのビデオの中で一番印象に残りました。
Malchik khochet tambov
https://m.youtube.com/watch?v=EW93pojria8
その後に、ムラト・ナスィロフの友人のロシア人の作家の方とお会いする機会があり、お話を伺ってから、ますます彼の曲を聞くようになりました。
カザフスタンのウイグル人。
アジア的な容姿にも親しみを覚えました。
その後何年か過ぎ、すっかり忘れていた頃に彼の訃報を聞きました。
才能があるシンガーソングライターであるだけでなく、ウイグル語がわからない聴衆のためにロシア語の歌詞も用意してコンサートに臨むなど、アーティストとして尊敬できる方です。
亡くなったのは残念ですが、彼の残した曲がこれからも世界中のいろんな方に聞かれますように。