こんにちは。中川香須美です。今回から、4回シリーズでカンボジアの学校教育における子どもの権利教育について紹介します。このシリーズは、2007年12月22日に国際子ども権利センター主催により開催された勉強会「カンボジアの義務教育におけるジェンダー問題と子どもの権利教育」の内容について、参加者の皆様のご意見やご質問などを踏まえ、改めてブログで詳細にわたって紹介するものです。勉強会に参加してくださった数多くの皆様、貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。
まず、カンボジアの教育制度について紹介します。他の多くの途上国と状況は似ていて、教育制度そのものがまだまだ発展途上の段階にあります。1993年で内戦は終了し、カンボジアは戦後復興から経済発展段階へと移行しているものの、さまざまな面で内戦の弊害が見られます。人的資源・財政的資源、両方ともにかなり限られた状況で教育制度を整備しているのが現状です。わたしの個人的な意見では、教育に従事する優秀な人材は育ってきているにもかかわらず、その人たちの希望に見合うための予算手当てがなされていないことが、教育制度を整備・改善するための大きな障害となっていると思います。若手の教員の多くは、出来るだけレベルの高い教育を子どもたちに提供したいと考えていると私は思っています。問題は、予算がなくてなかなか前進できないことです。
現在のカンボジアの教育制度は、小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年(医学部および教育学部は6年)となっています。カンボジア王国憲法68条(1993年施行)によって、全ての国民は9年間の義務教育を無料で受けることが保障されています。現在国会に提出されるべく検討中の教育法草案においても、「親が子どもを学校に通わせる義務」が明言されています(ただし学校に通わせる年数および就学年齢については言及なし)。ところが、子どもが学校に通う機会を得るという基本的人権の保障については、さまざまな理由から、政府も保護者も十分に対応が出来ていません。「義務教育」を提供する義務については、政府も保護者もまだまだ努力が必要です。特に、カンボジアの人口の8割以上が生活する農村では、多くの子どもたちが小学校を終える前に退学しています。
農村に出かけた際に私が出会った子どもたちは、学校に行くことを義務などとは考えず、「学校に行きたい!」と希望する子どもたちが大多数です。また同時に、学校に行きたくても家が貧しいから両親を困らせたくない、だから自分からは学校に行きたいとは言えない子どもたちにも数多く出会いました。農村では、テレビや雑誌などの娯楽を楽しむ機会が極めて限られていて、学校で友達や先生と遊んだり勉強することが、子どもたちにとっては一番の楽しみなのです。
義務教育レベルでは、いじめの問題もそれほど悪質ではありません。貧しい子どもたちなどが差別されている点は問題だと思いますが、制服や文具が買えない子どもの数は多くいるので、個人が対象となっていじめの被害にあうことはあまりありません。そもそも問題の根本は大人側にあって、保護者側に貧しい人たちへの差別の意識があるために子どもたちが影響を受けているのです。高校レベルになると、麻薬の問題や年長の生徒からのゆすり(たいていが麻薬を買うため)、あるいは「援助交際」などが現在深刻な問題となっています。麻薬は入手が簡単なので、農村部・都市部を問わず、高校の教員にとっては生徒指導の中で一番頭を抱える問題だそうです。
都市に住み、ある程度恵まれた家庭で育つ子どもたちの中には、大学に進学する子どもも数多くいます。最近の都市部での流行のひとつは、大学に通うことなのです。私立大学が都市部で雨後の竹の子のように続々と設立されています。国立大学と違って入試もないので入学は簡単です。大学は3部制なので(午前・午後・夜間)、わたしが日常的に接している学生の中でも、3つの大学に通っている学生も少なくありません。「忙しくて宿題が出来ない」と直訴に来る学生の話をよくよく聞いてみると、他の大学で受講している自分の専門科目の宿題が大変なので、一般教養の「ジェンダー学」の宿題は後回しになっていることが判明したりするのです。
(つづく)
写真は、スバイリエン州で実施ししいる学校を拠点とした人身売買予防ネットワークのメンバーたちが子どもの権利について学んでいる様子。
まず、カンボジアの教育制度について紹介します。他の多くの途上国と状況は似ていて、教育制度そのものがまだまだ発展途上の段階にあります。1993年で内戦は終了し、カンボジアは戦後復興から経済発展段階へと移行しているものの、さまざまな面で内戦の弊害が見られます。人的資源・財政的資源、両方ともにかなり限られた状況で教育制度を整備しているのが現状です。わたしの個人的な意見では、教育に従事する優秀な人材は育ってきているにもかかわらず、その人たちの希望に見合うための予算手当てがなされていないことが、教育制度を整備・改善するための大きな障害となっていると思います。若手の教員の多くは、出来るだけレベルの高い教育を子どもたちに提供したいと考えていると私は思っています。問題は、予算がなくてなかなか前進できないことです。
現在のカンボジアの教育制度は、小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年(医学部および教育学部は6年)となっています。カンボジア王国憲法68条(1993年施行)によって、全ての国民は9年間の義務教育を無料で受けることが保障されています。現在国会に提出されるべく検討中の教育法草案においても、「親が子どもを学校に通わせる義務」が明言されています(ただし学校に通わせる年数および就学年齢については言及なし)。ところが、子どもが学校に通う機会を得るという基本的人権の保障については、さまざまな理由から、政府も保護者も十分に対応が出来ていません。「義務教育」を提供する義務については、政府も保護者もまだまだ努力が必要です。特に、カンボジアの人口の8割以上が生活する農村では、多くの子どもたちが小学校を終える前に退学しています。
農村に出かけた際に私が出会った子どもたちは、学校に行くことを義務などとは考えず、「学校に行きたい!」と希望する子どもたちが大多数です。また同時に、学校に行きたくても家が貧しいから両親を困らせたくない、だから自分からは学校に行きたいとは言えない子どもたちにも数多く出会いました。農村では、テレビや雑誌などの娯楽を楽しむ機会が極めて限られていて、学校で友達や先生と遊んだり勉強することが、子どもたちにとっては一番の楽しみなのです。
義務教育レベルでは、いじめの問題もそれほど悪質ではありません。貧しい子どもたちなどが差別されている点は問題だと思いますが、制服や文具が買えない子どもの数は多くいるので、個人が対象となっていじめの被害にあうことはあまりありません。そもそも問題の根本は大人側にあって、保護者側に貧しい人たちへの差別の意識があるために子どもたちが影響を受けているのです。高校レベルになると、麻薬の問題や年長の生徒からのゆすり(たいていが麻薬を買うため)、あるいは「援助交際」などが現在深刻な問題となっています。麻薬は入手が簡単なので、農村部・都市部を問わず、高校の教員にとっては生徒指導の中で一番頭を抱える問題だそうです。
都市に住み、ある程度恵まれた家庭で育つ子どもたちの中には、大学に進学する子どもも数多くいます。最近の都市部での流行のひとつは、大学に通うことなのです。私立大学が都市部で雨後の竹の子のように続々と設立されています。国立大学と違って入試もないので入学は簡単です。大学は3部制なので(午前・午後・夜間)、わたしが日常的に接している学生の中でも、3つの大学に通っている学生も少なくありません。「忙しくて宿題が出来ない」と直訴に来る学生の話をよくよく聞いてみると、他の大学で受講している自分の専門科目の宿題が大変なので、一般教養の「ジェンダー学」の宿題は後回しになっていることが判明したりするのです。
(つづく)
写真は、スバイリエン州で実施ししいる学校を拠点とした人身売買予防ネットワークのメンバーたちが子どもの権利について学んでいる様子。