むせかえる花の匂いの誘い出す昔のことや今のことなど
NHK FMシアター 『黄昏ペンライト』を聴いた直後に頭に浮かんだ感慨を、そのまま三十一文字に置き換えたものです。これ以上の推敲や工夫は必要ないと考えています。
まさに凡作ですが、松尾芭蕉の『さまざまの事おもひ出す桜かな』を踏まえたつもりです。
芭蕉の、この句はハナハダセンエツナガラ、作品の素材そのものを無造作に投げ出しただけの凡作のように思えます。俳聖が、桜の花を見て「おもひ出」した「さまざまの事」が一向に見えて来ないからです。
その点については、この句の成り立ちについて述べられた「さまざまなこと思い出す桜かな」や「さまざまの事おもひ出す桜かな – 芭蕉のこと」などによって推測することができます。
かつて脱藩という不義理を働いた主家筋から、大成した俳諧の宗匠として花見の宴に招かれるに至った感慨を、衒いもなく詠んだものと思われます。その感慨の深さを表現するには、何らかの工夫を凝らす必要は一切ないと感じたのではないかと、この凡才は愚考する次第です。
「さまざまの事」の内容が具体的に示されていないことは、時を超え、場所や人を問わず、いろいろな場面に妥当することにつながります。この句を読む人それぞれに、強い感慨を呼び覚まさせることでしょう。その点では、字面を超えた名作と評し得るのではないでしょうか。
拙作の「昔のことや今のことなど」とは、それこそ「さまざま」です。
先ずは、かつて、亡くなった妻や母と一緒に花見に出かけたこと。甲斐性のない夫あるいは子であった私にとっては、その折々の彼女らの嬉し気な表情を思い出せることが救いともなっています。かけがえのない二人を喪った悲しみを引きずったまま今日に至った、情けない自分が今ここにいます。
その他、亡妻の思い出のよすがでもあった山科川の三色咲きの桃の木が朽ちて倒れたこと、行きずりの忘れ得ぬ人々のことなど、ブログに投稿したい事柄・・・・
そうそう、冒頭のラジオドラマ『黄昏ペンライト』について述べなければなりません。
要するに、瀬戸内地方出身で東京の一流会社の有能な社員でもあるヒロインが、三十路に入って何となく行き詰まりを覚え、帰省途中のフェリー船の中の不思議な経験によって回生の糸口をつかむ、といったストーリー。解説に「ヒロインに、ふと訪れる『人生の踊り場』のような特別な時間の物語」とありました。いささかオカルチックではありますが、私好みのドラマでした。
上記の拙作も「踊り場」に立ちすくんだ状態の中で浮かんできたものと云えます。
拙宅にはテレビが無いので、パソコンを通じて"radiko"でニュースを聴いています。ほかに聴くのが、「NHK FMシアター」。本放送は土曜日。その後、1週間のみ配信されます。
ラジオドラマには、画のない分、声と音の密度の濃さが魅力だと思います。想像力が要求されます。想像は持ち前の記憶が基盤。記憶は常に美化されますから、想像上の場面は、いつも私好み。せりふと演出がうまい限り、不快に感じるはずがありません。配信期間の間に繰り返し聴くこともあります。この番組を聴く時間は、冷えて疲れたこころを温め癒す休息の時間帯、いわば1日のうちの「踊り場」ともなっています。
わたしは、このたび、今年度の団地自治会の事務局長を仰せつかりました。といっても、大きな団地のうちの一棟だけの範囲です。しかし、270世帯のうち、その9割が65歳以上の高齢者世帯です。事務局長の役は、パソコンを扱える人がほかにいないことからむしろ進んで引き受けた経緯があります。ところが、いろいろな経歴と考え方の老人の集合体ですから、困惑することが多くあります。自ずとストレスが嵩じてきます。今後1年間、横目で「踊り場」を探しながら、激務に耐えることになりそうです。
このブログも、その「踊り場」の一つですが、多忙ゆえ、ただでさえ少ない投稿がますます減少してゆくことでしょう。