14歳。中学二年生です。もちろん、初恋もしていた。そんな多感な時期に初めて
自分というものと向き合いました。「俺は何?。何をして生きていくの?。わかんない。」
特技は、ない。少し『どもり』で恥ずかしがり屋で甘えん坊。これといって、ない。
女には、とても、とても、興味ありました。いわゆる『スケベ』兄貴の『エロ本』隠れて読んでいました。これが今でも覚えている。
けど、難しい。ま、いいや。この夏休み立石図書館に34日間通ってみょう。月曜日と月末の休館日を除いて毎日、お弁当を持って通いました。座るところも、おじさんに取ってもらい『34番』の座席に座りました。(大好きだった金田正一の背番号。)不思議。夏休みのワークとノートを持って行って、一日過ごす。
ここで、人生で初めて、本と出合いました。初めて読んだ本は、山本有三の『女の一生』
面白い?。なんか不思議でした。おんな・女・オンナへぇー。よくわかんない。
偶然同じ題名の本を見つけました。これは、モーパッサンの『女の一生』こっちの方が
よく分かりました。こんなあらすじだったように覚えています。主人公の女の人が少女から妻・母そして、離婚の末、新しい人生を歩むというような話。
それから、本という本を読むこと・読むといろんな人の人生が見えて・・・。
面白い。なんで、こんなに面白いこと早くから知らなかったのだろう。
まず、本の世界が私をすこし「おとな」にしてれました。
二つ目の変化は、自分の部屋を持ちたい。兄貴たちに邪魔されない空間・自分の部屋・・・。
当時は、もう三畳一間ではなく20畳と16畳の二部屋。変な部屋でしょう。
うちのおやじか倉庫だったところをいろいろ工夫して建てた家。そこで、私は押入れを
自分の部屋に改造しました。天井をぶち抜き、机・スタンドを入れ、精一杯の工夫をし、
生まれて初めて自分だけの部屋を持ちました。夏は、堪らず暑い・・・。それでも、
その狭い部屋で精いっぱい空想したり、妄想したり、ひとり、エッチをしたりしました。
この夏休みが大きな大きな転機。
夏休みが終わり、休み明けテストがありました。当時私の葛飾区立双葉中学は、一学年
9クラス400名位いました。私は、自慢じゃないが、成績は、大体真ん中か、少し下。
ま、勉強しなかったし・・・。興味もなかった。成績で人生が決まるわけない・・・。
ところが、なんと『私の名前が7番』に書かれているではないですか。ホント。本当。
自分でも信じられなかった。なんで、なんで、よくわからん。
そうすると、どうでしょう。わたしは、全く変わっていないのに私に対する周囲の見方
が変わったのです。そんなことってある。あるだよ。
私は、依然として、恥ずかしがり屋で照れ屋のどもり。すぐ真っ赤になる・・・。
そんな風に生活しているうちにもう一つの転機。佐藤先生がある時間私をべたほめしてく
れました。私の人生で先生に『褒められたのは、この一回。』なせ?。そんなに褒められたのか。それは、みんなの考えた答えと全く反対の意見を言ったからです。そのことがその後の人生で
大きな意味を持つようになってきました。つまり、先生に褒められた。私の時代、ひとクラス
45人位居たように思ったが・・。中学二年生まで「先生に一度も認められなかった生徒。」
そんな生徒たくさんいました。
2012年の今なら、大変恐ろしいことですがその当時そんなこと当たり前。
自分というものと向き合いました。「俺は何?。何をして生きていくの?。わかんない。」
特技は、ない。少し『どもり』で恥ずかしがり屋で甘えん坊。これといって、ない。
女には、とても、とても、興味ありました。いわゆる『スケベ』兄貴の『エロ本』隠れて読んでいました。これが今でも覚えている。
けど、難しい。ま、いいや。この夏休み立石図書館に34日間通ってみょう。月曜日と月末の休館日を除いて毎日、お弁当を持って通いました。座るところも、おじさんに取ってもらい『34番』の座席に座りました。(大好きだった金田正一の背番号。)不思議。夏休みのワークとノートを持って行って、一日過ごす。
ここで、人生で初めて、本と出合いました。初めて読んだ本は、山本有三の『女の一生』
面白い?。なんか不思議でした。おんな・女・オンナへぇー。よくわかんない。
偶然同じ題名の本を見つけました。これは、モーパッサンの『女の一生』こっちの方が
よく分かりました。こんなあらすじだったように覚えています。主人公の女の人が少女から妻・母そして、離婚の末、新しい人生を歩むというような話。
それから、本という本を読むこと・読むといろんな人の人生が見えて・・・。
面白い。なんで、こんなに面白いこと早くから知らなかったのだろう。
まず、本の世界が私をすこし「おとな」にしてれました。
二つ目の変化は、自分の部屋を持ちたい。兄貴たちに邪魔されない空間・自分の部屋・・・。
当時は、もう三畳一間ではなく20畳と16畳の二部屋。変な部屋でしょう。
うちのおやじか倉庫だったところをいろいろ工夫して建てた家。そこで、私は押入れを
自分の部屋に改造しました。天井をぶち抜き、机・スタンドを入れ、精一杯の工夫をし、
生まれて初めて自分だけの部屋を持ちました。夏は、堪らず暑い・・・。それでも、
その狭い部屋で精いっぱい空想したり、妄想したり、ひとり、エッチをしたりしました。
この夏休みが大きな大きな転機。
夏休みが終わり、休み明けテストがありました。当時私の葛飾区立双葉中学は、一学年
9クラス400名位いました。私は、自慢じゃないが、成績は、大体真ん中か、少し下。
ま、勉強しなかったし・・・。興味もなかった。成績で人生が決まるわけない・・・。
ところが、なんと『私の名前が7番』に書かれているではないですか。ホント。本当。
自分でも信じられなかった。なんで、なんで、よくわからん。
そうすると、どうでしょう。わたしは、全く変わっていないのに私に対する周囲の見方
が変わったのです。そんなことってある。あるだよ。
私は、依然として、恥ずかしがり屋で照れ屋のどもり。すぐ真っ赤になる・・・。
そんな風に生活しているうちにもう一つの転機。佐藤先生がある時間私をべたほめしてく
れました。私の人生で先生に『褒められたのは、この一回。』なせ?。そんなに褒められたのか。それは、みんなの考えた答えと全く反対の意見を言ったからです。そのことがその後の人生で
大きな意味を持つようになってきました。つまり、先生に褒められた。私の時代、ひとクラス
45人位居たように思ったが・・。中学二年生まで「先生に一度も認められなかった生徒。」
そんな生徒たくさんいました。
2012年の今なら、大変恐ろしいことですがその当時そんなこと当たり前。