台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ17 私とギャンブル1

2012-09-21 00:39:47 | 台湾
私がギャンブルをしたのは、もう、55年前の話。当時、葛飾では、いろんな遊びありましたが、ビー玉・メンコ・ベーゴマ・・・。子供の遊びでしたがすでにギャンブルでした。負けた者は、新しいビー玉・メンコ・ベーゴマ買わなくてはならない。たくさん持っている者は、自分の持っている物を売ります。これは、確かに、ギャンブル。
勝つための努力は、大変なものです。当時、十円であめが20個買えました。そんな時代です。大村崑というタレントが「十円もろた。十円もろた。」というギャグがあるくらい。
十円で、紙芝居も見られました。その十円も私は、無いときがたくさんありました。
だから、負けたときは、毎日、毎日、自分の得意なビー玉を練習しました。しかも、石ころで・・・。生きるための精一杯の努力。貧乏な人は、いつも、必死に生きていました。
もちろん、ビー玉・メンコ、ベーゴマ盗む奴もいました。少し油断していると大変。
そんな、子供時代を過ごし・・・。毎日・毎日・遊び。時に働きました。そんな生活ですから、勉強は、全く縁がありません。
 中学生時代に麻雀を覚えました。幼なじみのYやTやNが教えてくれました。もちろん、お金を掛けて・・。点0.1または0、3 または、0.5。麻雀やらない人は、何それ、簡単に言うと、負けると、いくらかの現金が動く。1回で最初は30円。90円か150円動く。勝者は、初め決まっていました。なぜなら、私は、ちんぷんかんでやっと、ルールが理解できるレベル。そのレベルは、牌の並べ方で大体わかります。早い奴は、概して、『うまかった。』ところがうまい奴が必ずしも勝つとは、限らないのが・・・。これで、はまった。
 麻雀というゲームは、うまい奴が必ず勝とは、限らない。その日の流れ・運によって左右されることがわかるようになると・・・。もう夢中。学校早退して、友達の家でやったこともあります。ちょうど中3。受験生の頃。私は、勉強は、相変わらず、押し入れでやっていましたが・・・。麻雀も一生懸命・・・。
 麻雀は、今もやっています。今は、学校の先生の集まりでやっています。フリーの雀荘に入り浸ったときも・・・・。恐らく、今、私の知っているゲームの中で1番面白い。
(囲碁・将棋は、また、別。)ギャンブルとして、1番。
 次にはまったのは、パチンコ。これは、長くやったが・・・。はまっているときは、面白かったが・・・。現在は、・・・。面白くない。なぜ?しくみがわかって、勝つ方法は、あっても時間が長すぎる。だから、止めました。
 最後は、オートレース。これは、面白い。今も時々見ます。ほとんど、詐欺のような
予想ゲーム。実に、面白い。強い者が弱い者に負ける。ハンデがあるから。知らない人は、
つまらないでしょう。8人でオートバイを6周走り、一位・二位・三位を予想する賭け事。
公営ギャンブルの中で、マイナーなギャンブル。有名なのは、競馬。次に競輪・競艇。
オートレースファンは、1番少ない。会場6会場。選手約600名。
ま、これも、話せば長―い歴史。約20年ぐらい。
 恐らく、すべてギャンブルに使ったお金・・・?想像できません。私は、余り物を買わない。現在も必要な物以外買わない。勉強に関係する物は、多少高くても買うが・・・。
だから、すべてのお小遣い・・・。時にそれを大きく超えることもたびだび。奥さんは、大変だったと思う。今でも・・・感謝。
 ま、これは、血だと思っています。俺の親父の『血』が騒ぐ・うごめくのがわかるのです。
そうなると、もう止まらない。とことんやらないと気が済まない。時として、『バカだなあー』と思いながらも・・・。また、始めてしまう自分がいた。台湾に来て、1番良かったのは、ギャンブルの無い環境ができたこと。もちろん、ネット上でやれば、いくらでもできますが・・・。そこまでは、追いかけたくない。
 現在の環境をくれた・たくさんの人に感謝。(特に元奥さん)