自燈明・法燈明の考察

宗教はきっかけを与えるに過ぎない

 ここで日蓮の事や、自分自身が今まで思索をした中で「こうなのでは?」という事を書いています。無論、これらが全て正解かどうか、そこは私にも正直言って解りません。仏教とは、二千数百年に渡り多くの人々が、釈迦の言葉の一言一言をきっかけにして、心の事、この世界の事を考え続けられて来た一大思想運動の賜物です。そんなモノが高々十年や二十年で「解った!」なんて言えるほど、私には自信はないのです。

 先日の事、近所の喫茶店で調べものをしながら文書を書いていると、いかにも冴えない服装で、無精髭はやした大男が初老のご婦人を二人従えて来店してきました。基本、私は人の話に耳をそばだてる事は無粋な事だと思ってましたが、そこで大男が話しているのは顕正会の事でした。

「日蓮大聖人は云々」「本門戒壇の大御本尊」「浅井先生は云々」「創価学会は間違えている云々」

 まあ様々な事を一方的に語ってましたが、恐らく初老のご婦人のうち一人は顕正会員で、もう一人の初老のご婦人を折伏していたのでしょう。
 私はその無精髭の大男の話を聞きながら、随分と一方的な話だよなという思いを持ちました。昔の若い頃であれは、話に割って入って、創価学会のいう破折(はしゃく)だなんてやったかもしれませんが、そんな事は労力の無駄である事は、この年齢で理解もしてますし、その顕正会の折伏内容に、静かに耳をそばだてていました。

「顕正会は真に正しい教えだから、家族に言うと必ず反対されます。それを魔と呼ぶのですが、顕正会は魔を呼び起こす信心だと言う証拠です。だから貴方が顕正会の信心をする事を、まだ家族に言う必要もありません。それは貴方が信心の確信を掴んだ時にやれば良いのです。」

 嗚呼、いよいよ佳境に入ってきたなと思い、私は耳をダンボにしていました。

「とうですか、○○さん(恐らく隣の初老のご婦人)を信じて、顕正会に入りませんか?」

 さてさて、このご婦人はどんな返事をするのやら、私のダンボの耳はとても気になりました。

「▲▲さん、一緒にやりましょうよ!」

 同席のご婦人は声をかけます。何気な風を装って、顔を上げてチラッと見ると、まだ初老のそのご婦人は下を向いていました。しかし顔を上げるとご婦人は言いました。

「やりません!そんな話ならお断りします!」

 脇で聞いていて、思わず心の中では大拍手してしまいました。そこ後、髭面の大男は手を変え品を変え、口説こうとしていましたが、けしてそのご婦人は首を立てに振ることなく、喫茶店を後にしたのです。

 宗教というのは、ある指導者が語った事を体系化し、それを教義として信仰する組織体系を持ったものを言います。本来、組織とは信仰者を助け、励まし、共に歩む人達の集まりであって、そもそも信仰という立場から見れば、手段の一つにしか過ぎません。しかしその手段が、宗教に入ると目的化し、如何にもその宗教の組織の教え通りに動くことが信仰だと勘違いをしてしまうものなのです。

◆提婆達多が指し示す事
 ここで少し提婆達多の事について考えてみましょう。
 日蓮が大乗経典で中心の経典だとして扱った法華経には「提婆達多品」という章があります。法華経の成立について調べてみると面白いのですが、初期の法華経にはこの提婆達多品というのが無かったようなのです。

 この提婆達多品には「悪人成仏」と言って、仏教の中では極悪人で反逆者として名を馳せている提婆達多が、実は釈迦の過去世には阿私仙人という名前で、その時の釈迦の師匠として、法華経を教えたというのです。そして今世に於いて法華経を誹謗する罪を、自身の身を以て示すために提婆達多として現れ、無間地獄に堕ちたと言うのです。その事から提婆達多にも、この品で成仏の約束が為されます。
 またその他にも龍王の娘である龍女が、釈迦に如意宝珠を供養して、即座に男性に変化して仏になる話もありまして、こちらは「女人成仏」を示したと言うのです。

 まあ実際に読んでみると、確かに文脈的にも後付感がある様な内容で、これなら後付の品(章)という事もある様に思えます。百聞は一見し如かずなので、是非とも読んでみる事をお勧めします。

 これは一つの説なのですが、実は仏教教団には「提婆達多教団」の様なものが、連綿と存在していて、法華経成立後に大乗仏教教団と提婆達多教団は、和解したのではないかと言われています。その事があって、法華経の中に提婆達多品が組み込まれる事になったという話です。

 これはこれで、とても興味深い話です。

 さて、提婆達多の話を続けます。提婆達多は釈迦の親戚であり、釈迦の説法を聞いて、この法を広め、教団化しなけばならないと考えたそうです。そしてそれを釈迦に提案し、自身はその教団の運営者としてトップに成る事を画策したと言います。しかしその提案を釈迦はきっぱりと却下し、提婆達多を叱りつけたと言います。そしてその事から提婆達多は釈迦に対して恨みを持つようになったというのです。

 これを知ると、釈迦は自身の説いた教えを以て教団化する事は、あまり考えていなかった様です。私のブログのタイトルである「自燈明・法燈明」という言葉も、釈迦が弟子の阿難に対して語った言葉で、そこでも釈迦は宗教組織としての姿は考えていなかった事を感じます。

 これは何も釈迦だけだはなく、日蓮自身も「大師講」という組織をもって、門下の育成を図った様に思えますが、実際に自宗派とか教団という体裁には拘りがなかった様に思えます。何故ならば「大師講」そのものが、今の時代に日蓮門下の中でも知られていませんよね。

 宗教とは人間には必要だと言われています。しかし宗教という定義が「教義をもって組織的(社会的)な集団」というのであれば、私はそこに依存する必要は無いと思うのです。

 よく宗教指導者の中には「殉教」という言葉を使い、その宗教の教えに殉じる事の重要性を語る人がいます。しかし宗教とは人間の信仰を醸成する切っ掛けを与えるものであったとしても、人間には一人ひとり大事な「人生」というものがあるはずです。人とはその「人生」を生きる事が目的であり宗教に依存する事を目的とすべきでなないのではありませんか?

 私はその様に考えています。


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