自燈明・法燈明の考察

法華経について②

 さて、先の記事では妙法蓮華経方便品第二の内容について書かせて頂いた。あまり褒められた文書では無いが、方便品第二では十如是を明かし、そこで一念三千の一端を明かしていた。だから勤行で読誦される経典にもなっていたのだろう。ただ方便品では「久遠実成」が明かされていないので、一念三千を明かすとは言っても、それは完全なものではない。これは「略開三顕一」と方便品が呼ばれる所以だが、この久遠実成が明かされる事により、日蓮がいう四教が破れ、本門の(本当の)因果(修行と成仏)の姿が示される事になるので、やはりその意味で如来寿量品も読誦される対象となっているのだろう。

 まず寿量品の内容について粗々書いてみたい。この如来寿量品の前の従地涌出品第十五では、創価学会の中でもよく言われる地涌の菩薩というのが出現する。大地を割って六万恒河沙(恒河沙とは膨大な数で、一説にはガンジス河の砂粒の数とも言われる)という菩薩が出現したのだ。そしてこの菩薩達はそれぞれに六万恒河沙の眷属を連れている者もいれば、百千万という眷属を連れたもの、中には眷属を持たずに一人で修行するものもいたという。要は修行する姿や立場も多種多様な菩薩であった。また菩薩の姿はとても尊貴で威厳に満ち、それに比較すると釈迦は赤子の様に見えたと言う。
 その出現を目の当たりにした弥勒菩薩は大きな疑問を抱いたのである。釈迦は出家してから四十余年しか経ていないし、そんな中、どこでこの立派な無量無数の菩薩達を教化してきたのか。これはどうにも理屈に合わない。そこで弥勒菩薩は釈迦にこの謎について説いてくれと懇願した。そして如来寿量品へと話は続くのである。

「爾の時に仏、諸の菩薩及び一切の大衆に告げたまわく、諸の善男子、汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし。復大衆に告げたまはく、汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし。」

 今の創価学会では読誦する事を止めてしまったが、所謂、長行と言われる如来寿量品冒頭の部分がこれにあたる。釈迦はこの弥勒菩薩からの質問に答えるにあたり、これから私(仏)の述べる事を信じ理解するかと弥勒菩薩をはじめ、人々に問うのである。すると弥勒菩薩を始め説法の座にいた人々は「はい!信じ理解致します!」と答えます。すると釈迦はまた同じ様に念押しで同じ事を問い、人々は答える。これを合計三回繰り返したの後、釈迦は語った。

「汝等諦かに聴け、如来の秘密・神通の力を。」

 ここから久遠実成が解き明かされるのである。

 人々は釈迦が王宮の城から出て出家し、修行の末に悟りを得て成仏したと思っているだろうが、実はそうではなく釈迦は自身が成仏してからこれまで百千万億那由多阿僧祇という時が経っていた事を明かすのである。ではそれはどれだけ昔であったのか、法華経では五百千万億那由多阿僧祇の世界をすり潰して塵にして、と表現しているがこれは現代では解りづらいだろう。今流に言えば全宇宙にある恒星や惑星などの星々をすり潰して微塵にしてという方が解りやすい。そしてそれで作られた塵を、五百千万億那由多阿僧祇の宇宙を過ぎる度に一粒、また一粒と落としていき、全ての粒を落とし終えた時に、それら過ぎ去った宇宙、塵を落とした宇宙も、落とさなかった宇宙も、すべての星々を更にすり潰して、その時に出来た一粒を一劫(約一億六千万年)と数えた程の年数だと言うのである。

 さて、この感覚。皆さんは理解できるであろうか。おそらくこの数字をまともに表現する事ができる人はいない。釈迦はこの時間について弥勒菩薩に対して理解できるかを尋ねる。すると弥勒菩薩は答えた。

「一切の声聞・辟支仏、無漏智を以ても思惟して其の限数を知ること能わじ。」

 弥勒菩薩は菩薩の持つ深い洞察であっても、また二乗(学識者)の漏れない智慧をもってしても理解する事が出来ないと答えたのである。すると釈迦は「その時よりもさらに百千万億那由他劫という時を重ねているのだ」と答えたのである。

 さてこの段階で少し考えてみたい。日蓮正宗では鎌倉時代に出世した日蓮を「久遠元初の自受用報身如来」と位置づけ、釈迦が成仏した五百塵点劫というこの久遠の時間すら「昨日の様な」さらに大昔に悟りを開いた根源仏と位置づけ、釈迦すら日蓮の迹仏なのだと位置づけをしていた。これは堅樹院日寛師による解釈なのか、そこは明確に判らないが、一つ言える事はすでにこの如来寿量品における弥勒菩薩の答え「其の限数を知ること能わじ」とある様に、この久遠(五百塵点劫)というタイムスケールは人智を超えたものであり、それを単に「時間」として論じるべきものでは無いのが明らかである。にもかかわらず日蓮本仏論では数字的なタイムスパンとして論じている事は、そもそも法華経の意義に背くものではないだろうか。私が日蓮本仏論と、それを根拠にした日寛師の教義に否定的なのは、こういった事による。だから2014年に創価学会が行った教義改正の動きや、日蓮本仏論の否定、そして日寛師教学の否定について、一歩前進の様に思えもしたが、残念なのは否定した後、その否定の根拠や改正した新たな解釈があまりに陳腐すぎるので、あきれ返ってしまった。しかし当時、地元の後輩で創価学会の幹部にこの問いをしたところ「斎藤さん、今の創価学会は池田先生と功徳の話しか受け入れられないんですよ」と言っていたので、創価学会にも未来が無い事を感じもした。何故なら教義への探求心なくした宗教には、もはや世界を引っ張っていくだけの原動力が存在しないという事でもあると、私は考えているからだ。

 如来寿量品をさらに読み進めていると、久遠実成(五百塵点劫の昔に成仏した事)を明かした釈迦は続けて語る。

「是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す。亦余処の百千万億那由他阿僧祇の国に於ても衆生を導利す。諸の善男子、是の中間に於て我燃燈仏等と説き、又復其れ涅槃に入ると言いき。是の如きは皆方便を以て分別せしなり。」

 久遠の昔に悟りを開いていた釈迦は、この娑婆世界(現実世界)にあって説法教化を続けてきたという。そして無量の国の人々を導いていて、ある時は燃燈仏として現れ説法した時もあり、また涅槃に入るとも言ってきた、しかしそれは皆、方便で人々を導く姿だったのであると説いたのである。ここには簡単にスルーしてしまう内容が説かれているが、きわめて重要な事が説かれている。
 燃燈仏とはどの様な仏なのか、知っている人は少ないだろう。このインドで生まれ、悟りを開いた釈迦は、過去の事柄として説いた中に、この燃燈仏について紹介している。それはインドで生まれる前世の時、そこで釈迦が仏教を学ぶために仕えた師匠としての仏の事で、その時の過去世の釈迦の修行の姿を見て、燃燈仏は「来世にあなたは成仏し、仏になるだろう」と記別(成仏の約束)を与えた。さてここでこれが実に不可思議な事だと気づく人はどれだけいるだろうか。
 燃燈仏は久遠実成の釈迦の過去世の姿だと言う。しかしこの如来寿量品を説く釈迦は、如来寿量品以前、この燃燈仏から教化されて成仏したと述べていた。

 これは果たしてどういう事なのか。

 実はこれこそが日蓮が開目抄で述べた「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果やぶる」という事に通じていくのである。


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