天気も秋らしくなってきましたね。自宅で仕事をしていても、エアコンを点けづに部屋に居れる様になりました。そういえば昨日、富士山に初冠雪があり、例年よりも2日早く、昨年よりもかなり早い初冠雪だったとありました。地球温暖化が言われているのに、少し「あれ?」と思いましたが、もう秋も半ばになってきたんですね。
さて、今回は「地涌の菩薩」という事について、少し書いてみたいと思います。この地涌の菩薩とは、法華経の如来寿量品第十六の前の章である、従地涌出品第十五で登場する菩薩です。(創価学会や日蓮正宗の人は既に既知の事ですね)まずはその登場の部分から紹介します。
従地涌出品以前の章で、釈尊は自身が入滅した後に、誰がこの法華経を娑婆世界に弘教するのか、虚空会にいる菩薩達に問うていました。しかし菩薩達は娑婆世界は悪世で悪比丘が多いので、他の場所でこの法華経を弘める事を誓っていました。しかし釈尊はそれを認めず、その釈尊の心を知った菩薩達は、滅後の悪世に於いても堪え忍んで法華経を弘める事を決意しました。(勧持品第十三)
そして文殊菩薩が、仏滅後にどの様に法華経を弘めたら良いかという問いに対して、四安楽行という修行法を釈尊は説きました。(安楽行品第十四)
従地涌出品第十五はこういった前置きがあって展開されているのです。この従地涌出品第十五の冒頭、以下の事が説かれています。
「爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩の
八恒河沙の数に過ぎたる、大衆の中に於て起立し
合掌し礼を作して、仏に白して言さく、
世尊、若し我等仏の滅後に於て此の娑婆世界に
世尊、若し我等仏の滅後に於て此の娑婆世界に
在って、勤加精進して是の経典を護持し読誦し
書写し供養せんことを聴したまわば、
当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし。」
当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし。」
ここで虚空会に参集している菩薩達は、釈尊滅後において、この娑婆世界の中で法華経を弘める事の決意を述べました。しかし釈尊はこの決意を止めるのです。
「止みね、善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ。
所以は何ん、
我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩あり。
一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属あり。
是の諸人等能く我が滅後に於て、護持し読誦し広く
所以は何ん、
我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩あり。
一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属あり。
是の諸人等能く我が滅後に於て、護持し読誦し広く
此の経を説かん。」
ここでは「止みね、善男子」と決意を止める事を菩薩達に釈尊は告げます。そして「汝等が此の経を護持せんことを須いじ」と、菩薩達の決意を言下に却下したのです。そしてその理由を「この娑婆世界には私の弟子である六万恒河沙の菩薩が居る」と言い、その菩薩達にはそれぞれ六万恒河沙の付き従う人がいる事を明かし、この菩薩達が釈迦の滅後に法華経を弘めていく事を宣言したのです。
するとそこで地涌の菩薩が出現してきます。
「仏是れを説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土
地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩
あって同時に涌出せり。
是の諸の菩薩は身皆金色にして、三十二相・無量の
光明あり。
先より尽く娑婆世界の下此の界の虚空の中に在って
住せり。是の諸の菩薩、釈迦牟尼仏の所説の音声を
聞いて下より発来せり。」
ここでは「三千大千の国土皆震裂して」とありますが、全宇宙の大地が大揺れに揺れて、地面が裂け、そこから無量の菩薩達が同時に出現したのです。そしてこの菩薩達の姿は仏(釈尊)と同じ姿をしており、光り輝いていました。またこの地涌の菩薩は多様な姿をしていたのです。
「一一の菩薩皆是れ大衆唱導の首なり。
各六万恒河沙等の眷属を将いたり。
況んや五万・四万・三万・二万・一万恒河沙等の
眷属を将いたる者をや。
況んや復乃至一恒河沙・半恒河沙・四分の一・
乃至千万億那由他分の一なるをや。
況んや復千万億那由他の眷属なるをや。況んや
復億万の眷属なるをや。
況んや復千万・百万・乃至一万なるをや。
況んや復一千・一百・乃至一十なるをや。
況んや復五・四・三・二・一の弟子を将いたる者をや。
況んや復単己にして遠離の行を楽えるをや。」
各々の菩薩は人々の「唱導の首」、これは信仰者のリーダーであると云うのです。しかしそこには膨大な人々を率いている姿もあれば、少人数の場合もあり、一人でコツコツと道を修める姿もあるのです。そして全宇宙規模のこの大菩薩集団には、四人のリーダーが居ました。
「是の菩薩衆の中に四導師あ。
一を上行と名け、二を無辺行と名け、
三を浄行と名け、四を安立行と名く。」
そしてこの地涌の菩薩達は、釈尊の前で挨拶をするのですが、この一連の様子を見ていた弥勒菩薩が大きな疑問を持ち始めるのです。その疑問とは次の様なものでした。
◆六万恒河沙という莫大な菩薩を、私は釈尊が
成道してから見たことが無い。
◆それぞれの地涌の菩薩達の容姿は、とても威厳
があり、それと比較すれば釈尊はまるで赤子の
様な姿に見えてしまう。
◆釈尊が出家してからたった四十余年という期間の
間で、どうしてこの様に多くの菩薩を教化すると
いう偉業を為すことが出来るのか。
この弥勒菩薩の疑問に答える形で、次の章である如来寿量品第十六で、久遠実成が明かされる事になるのです。
この地涌の菩薩とは、日蓮自身が自覚の上では上首(リーダー)である上行菩薩の再誕であると考えていた事、また「地涌の菩薩の出現にあらずんば唱え難き題目なり」と語っている事から、末法に法華経を弘めるのは皆が地涌の菩薩であると、創価学会や日蓮正宗関係では述べています。そしてその他の迹化の菩薩と言われる地涌の菩薩以外の菩薩は、末法の世界には出現しない様な事も語っています。
しかし法華経後半で、釈尊より後々の五百歳への広宣流布を託されたのは、無名の宿王華菩薩でした。
この事から考えてみると、地涌の菩薩の出現とは、単に末法の法華経の弘教の主体者を示すだけの事では無いと思うのです。この事について、少し考えた事を、これから書いてみたいと思っています。
(続く)