厚生労働省の役人が銀座で深夜まで飲み会をやり、課長が更迭されまして、世の中でもそんな事が話題になっていますが、そもそもこの日本という国が、今の新型コロナ禍にどう相対しているのか、そこが一番の問題です。今の菅内閣は「打つ手なし」として緊急事態宣言を解除してますから、既に日本はお手上げしている状況ですからね。
さて、こんな社会情勢の中でも、創価学会では緊急事態宣言が解除されたので、早速来たる様々な選挙活動に向けて、組織内を動かし始めています。曰く「誠実な対話拡大で友好の輪を広げよう」とか「励ましの対話の波を起こそう」なんてスローガンをぶち上げていますが、要はしっかり票をもぎ取れる様な活動をしろよと言うわけです。
まあ選挙の投票率を底上げするためなら良いのですが、まるでハイエナよろしく政治に白けた国民の捨て票をかき集め、政権与党に貢献するような活動は頂けないですね。ただロクな政治家も居ないので、こんな状況が直ぐに好転する見込みもありません。
さて今日の本題です。創価学会は何故選挙活動をするかと言えば、彼ら流に言えば「立正安国」の為の活動だと信じて疑うことはありません。でも恐らく活動に没頭している活動家幹部達は、そんな自分達の活動の意義なんて考える暇も与えない程、日々報告事項に振り回されている状況です。
ダイヤモンドカードを何枚作れたか、どこぞの友人数を確認したか、実働数は何人で、今度の土日には何人の活動家が動くのか。また公明党パンフレットは幾つ配れたのか、何だかんだ云々と。そんな事だけで、おそらく頭がパンクしているのではないでしょうか。
そもそもですが、一つの宗教団体がデカく膨張する事で、世界が平和になるなんて、絶対にあり得ません。こんな事は、少し落ち着いて考えたら解りそうな事ですか、そこはそこ、信濃町の宗教貴族たちは狡猾なもので、活動家幹部たちに思索する暇を与えません。要は会員に思索する暇を与えてしまうと、自分たちのやっている事の欺瞞性に気付かれてしまう事を理解しているのでしょう。
今の世界は釈迦の言葉を借りるなら「燃え盛っている火宅」です。法華経では「三車火宅の喩え」という説話があり、燃え盛る火宅の中には様々な魑魅魍魎が跋扈してもいるのですが、幼い子供達はそんな事も知らずに遊び呆けています。火宅の主人である父親は、そんな子供達を火宅の外に呼び出すために「三車(宝で飾りたてられた牛車)」を子供達に見せつけて、この立派な車が欲しければ出て来なさいと誘い出しました。
この例え話は、仏が三乗(声聞・縁覚・菩薩の境涯)へと衆生を導いたのは、実は火宅の中の様な世界から誘い出すための方便であり、本当の目的とは火宅の外へと出す事、そして大白牛車(一仏乗)を与える事にあったと説いています。
確かに創価学会でも、この例え話な様に三車の様なご利益話を会員に言いますが、やっていることは、火宅の中に子供達を監禁しているような事で、たまに気がついた子供が居たら、袋叩きで「野垂れ死ぬまで責めぬけ」なんてやっていて、結果は轟々と燃え盛る火宅の中に子供達を押し込んでいる様なもので、子供達(この場合は学会活動家)も燃え盛る火宅を御殿のように錯覚して遊び呆けている様な事では無いでしょうか。
法華経において釈迦は、私達も仏も共に同じく「久遠実成の釈迦」を心の奥底に持ち生まれてきた事を明かしています。そして全ての事は「一仏乗」へ人々を導く方便であると言い、この久遠実成の釈迦とは、この娑婆世界に常にあり、本から菩薩としての働きを絶えず行って来たとも説いています。
この法華経の解釈については、より思索を進めていかなければなりませんが、少なくとも今の創価学会が提唱している様な、組織の膨張拡大や、選挙活動を通して宿命転換だとか、成仏なんて事は、全くの見当違いである事は、間違いないでしょう。
創価学会の活動家幹部には、変な人たちもいますが、大半は真面目で責任感が強い人達です。私はそんな人達が、真面目に人生の大事な時間を、こんな似非仏教に無闇に注がしている創価学会という組織、その組織の持つ文化には憤りを感じていて、治まらないのです。
ましてや創価学会の宗教貴族たちが、そんな会員を利用して、日本の政治の世界に食い込み、自分たちの既得権益の保護だけを考え、日本の国政をもあらぬ方向に動かしていく事に、何ら罪悪感すらないという姿勢は許す事が出来ない思いがあります。
でもやはり一番の問題は、人間が宗教にもつ脆弱性なのかもしれませんね。ここは一人ひとりが気が付かない限り、この様な愚かな事は続いていくことなんでしょう。その事は、何も創価学会に限られた事ではなく、人類の歴史上、連綿と続いてきた事ですからね。
せめて創価学会に使われている人達の中に、その理解が少しでも広がればよいのですが。