楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

タイの洪水・軍隊が果たした役割

2011-11-18 22:13:31 | タイの政治経済

後始末は残っているものの、やはりタイの洪水は終わりつつあるようです。わが家も、撤収です。私の家族は、疎開先のタイ中部・カムペンペットから今夜遅くにバンコクにもどる予定です。その判断の根拠は・・・

何と、バンコクの、向いの家のおばあさんが、「今回は、もう心配ない」と断言したことです。半分冗談みたいですが、半分は本当です。もう半世紀近くその場所に住み、何度も洪水を体験してきた、そのおばあさんの判断を妻は尊重し、それを聞いた私も、同意しました。

これで、「わが家の洪水騒ぎ」は終了です。「バンカピに洪水がきたら、家にも来る」と断言したおばあさん。確かにバンカピの一部は浸水していますが、それは、「残り火」が燃えているだけで、もう終わりだそうです。

どうして政府が言ったり、科学者が予想したりするより、そういう老人が言うと信用してしまうのか?経験者の言葉というのは、それだけ重いのです。それに、「政治的な発言」をしませんからね(笑)。

 

さて、これまで書いてこなかった視点からの記事が、ニューヨークタイムスにありました。ニューヨークタイムスは、さすがにタイのメディアとは視点が違いますし、物事を俯瞰して見ることが得意です。それは、「タイの軍は、その存在を身近なものにするために、洪水を利用した」という16日付の記事です。

http://www.nytimes.com/2011/11/16/world/asia/floods-give-thai-military-a-chance-to-launch-charm-offensive.html?_r=1&scp=19&sq=thailand&st=cse

これを下敷きに、今回の洪水に対するタイ軍の戦略を見てみることにしましょう。

先月、このブログでもタイ陸軍のプラユット大将(司令官)の発言を何度か取り上げました。それは、洪水がバンコクに迫り政府が混乱して、「非常事態宣言」を出すかもしれないと言われていた微妙な時期に、陸軍の最高権力者のプラユット大将は、「非常事態宣言が出ても、軍が主導権を握ることはありえない」と挑発してみたり、逆に、「非常事態宣言を出す必要はない」と否定的なことを言い、インラック政権を牽制したりしました。

タイ軍は今回、5万人の兵士と、1000台のトラックと、1000艘のボートを投入し、被災者の救援活動にあたってきました。「バンコクの通りを、再び兵隊と軍用トラックが走り回った。しかし、今度は政府に抗議する人々と闘ったり、首相を引きずり下ろすためではなかった。その代り、冠水した道路を走れる頑丈な軍用の乗り物で住民を運んでいるのだ。その乗り物には、"人々を助けるタイ国軍"と書かれた旗が付いている。」

そして軍の活動を国民に印象付けるために、テレビ映りがよくて、とてもソフトなイメージの強いワンチャナ大佐を10月からスポークスマン(代理)に起用しました。ワンチャナ大佐は、被災者を助けたり、食料などを届けに行っても、住民からの敵意を感じることもあると、インタビューの中で語っています。

「軍隊の嫌いな人はいるものです。でも、そうした住民の憎しみを解こうとしているのです。」その効果があったのか、フェースブックで「タイ軍が好きだ」という国民が急増したと言われています。イメージ戦略というものが、いかに大切かが分かりますね。

これらは、「国民が兵士を愛するようになってほしい」と考えるプラユット大将の戦略だったのです。昨年のように、また2006年のクーデターのように、「政治に介入する軍」という国民のイメージを一掃すること。そして、支えの役割に徹する慈善に満ちた軍に変わったことを国民に強くアピールすることを目指したのです。それは言ってみれば「軍のノンポリ化」です。しかし、被災者救助に奔走する「慈善に満ちた」軍の姿に納得のいかない人々もいました。「軍のduty(任務)とcharity(慈善)をはっきり区別するべきだ」という意見もありました。つまり、任務として救助活動をしているのに、まるで慈善活動をしているように見せている、ということなのでしょう。

軍を抜きにしてタイの現代史を語ることはできません。タイでは1932年以降、軍が政治の表舞台に出るようになりました。繰り返されるクーデター。そのたびに君主制は脅かされました。軍の支配が続くと、反対勢力に対する血なまぐさい取り締まりが横行し、軍に対する人々の支持は衰退していったのです。繰り返される軍による政治介入の歴史が、「本当にタイは民主主義の国なのか?」という疑問を、多くの西欧諸国に抱かせる最大の要因になってきたのです。

 インタビューを受けたある退役将官は、こう語っています。「我々は、アメリカのような普通の軍隊にはなれない。なぜなら、タイの民主主義は、まだまだ弱いのです。だから軍が支えなければならないのです。弱いところの面倒を見なければならないのです。」

 しかし、それとはまったく逆に、最近の軍による政治介入は、さらなる混乱をタイの社会にもたらしてきたことは確かです。そして現在タイ軍の頂点にいるプラユット大将は、どうやらその教訓をよく学んでいるようなのです。なぜなら、軍隊が政治にかかわることを避けようとしているからです。「兵士は主役になりたいのではない。支える役割を果たしたいのです。」そう語っています。

暴走するのではなく、いざという時に頼りになる、そんな存在が軍というものならば、タイの国民の中にこれまで少なからずあったネガティブなイメージは、少しずつ払拭されていくのかもしれません。

 

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2 コメント

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お帰りなさい (mizuki)
2011-11-19 08:56:22
初めまして、うさぎさん。数日前から読ませて頂いています。

実は、私も、シーコン/パラダイス から西3-4kmのところに住んでいます。プラカノン運河からも南に3kmぐらいですから、バンカピの避難勧告や、シーナカリン、フアマークあたりの冠水は気になっていました。
ランカムヘン大学の北のエリアにも友人が住んでいますし。

そのおばあさんが言われるなら、私も信じようかな~。
少し安心しました。
少しずつ、ラーメンを消費して行こうと思います(笑)

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mizukiさん、はじめまして (うさぎ)
2011-11-19 12:13:39
コメントありがとうございます。きっと、割と近くにお住まいなのですね。いつ来るか、いつ来るかと、さぞ心配されたことでしょう。
私の家族は、普段4時間余りで来れるところを、何と9時間もかかって、今朝の4時すぎに妻の父親が運転する車でオンヌットの家に戻りました。
深夜なのに車が多く、工事をしているところもたくさんあったからです。
アユタヤ付近も、道路以外はまだ水につかっているようです。ミンブリーを通ってみたら、結構な量の水と悪臭だそうです。平和な中心部とは別の世界が残っているようで、回復までしばらくかかりそうですね。
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