楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

喧噪のバンコク

2011-07-03 00:00:07 | タイの政治経済

妻が病院通いをはじめた2010年5月と言えば、タイは国を二分する政治闘争のただ中にありました。しかし、もっとも激しく2つの勢力が衝突したバンコクの中に居ても、日本のニュースで大袈裟に伝えられたような「まるで内戦状態の観を呈しています」という表現は、ほとんどのエリアでは当てはまりません。

 衝突が起きていたのは、中心部のほんの小さな地域に限定されていたからです。私の家族の住むオンヌットの住宅街の近辺にも赤いシャツを着用した反政府派(UDD)の人たちが住んでいました。タクシーの運転手、バイクタクシーの運転手など大多数の労働者は反政府派です。でも下町や住宅街では政府と衝突になる事態は想像することすら困難でした。いつもと変わらない庶民の平和な暮らしが続いていました。

衝突が頂点に向かっていた5月上旬、タイ人の知人の車でスクンビット通りを少し北に入った、アビシット首相の自宅を見学しました。

 もちろん中に入ったわけではありません。小さな入口には鉄縄文をぐるぐる巻きにして人が簡単には入れないようにしてありました。ところが警備にあたる兵士の数は、たった2人だけ、しかもお互い雑談していて緊張感はまったくありません。それには少々拍子抜けと言わざるをえませんでした。もっとも、アビシット首相がこの時期スクンビットの自宅に帰ることはありませんでしたが。

この年の4月はじめ、私は小学校3年を千葉で修了した末っ子の男の子を連れてバンコクに来ていました。オンヌットにある私立学校への4年生編入手続きを済ませ、週末は家族5人で中心部にショッピングに出かけました。

4月3日、土曜日の昼下がり、セントラルワールド(のちに反政府側によって焼き払われたデパート)をのぞき、そのあと伊勢丹側に移動して家族に久しぶりの日本食を食べさせました。私は、日本で買えば4000円のタイ語の教科書を800バーツ(2200円くらい)で買いました。タイ人の先生にバンコクで買った方が安いと奨められたからです。4月から日本でタイ語教室に通い始めていたのです。(現在はレベルが合わないので自習しています。)

 その日、伊勢丹前の広場では若者たちがたくさん集まって音楽のライブをのんびりとやっていました。とくに服装の色が赤ばかりというわけではありません。やたらと人が多いのは目につきましたが、私にもタイ人の妻にも、音楽好きの人たちが自然集合して楽しんでいる光景にしか見えませんでした。

ところが翌4月4日の日曜日から伊勢丹は閉じられてしまったのです。伊勢丹前の広場が赤シャツの反政府側に占拠され、営業を自粛したというニュースが日本でも流れたはずです。そんなわけで、5月のバンコクの中心部は日に日に緊張が高まっていく毎日でした。

ちょうどこの頃に妻の検査結果は明らかになりました。5月13日の夜、妻からの電話で乳がんであることがわかりました。がんではなくて別の病気だという淡い期待も抱いていましたが、予想通りの結果でした。

それからすぐに私がしたのは、バンコクにいるタイ人の知人に電話して、がん治療に一番よい病院はどこかと聞くことでした。仕事関係で知り合ったその知人は、タイでナンバーワンの病院はチュラロンコンだと言いました

バンコク病院で検査を受けたことを説明すると、「あそこはお金持ちの病院です。もしあなたにお金の余裕があるのなら、そこでもいいですが、一番優秀な医者がいるのはチュラロンコンです。設備も十分整っています。日本で言えば、東大病院ですから。私の母もいつもチュラに行きます。毎日混んでますけどね。」と彼女は流ちょうな英語で言いました。

東大病院が日本で一番良い病院だとは私は正直言って思いません。そりゃ日本で研究費を桁違いに多く使っている大学は東大かもしれませんが、優秀な医者はあちこちにいます。設備もそれほど違いがあるとも私には思えません。ただ、タイの東大と言われるチュラロンコンは確かに優れた医者を養成していることは事実ではないかと想像できます。それで、私は妻に電話してチュラロンコン病院に行くように言ったのです。

ところが、チュラロンコン病院は時節柄最悪の場所にありました。反政府闘争の赤シャツ軍団の拠点のすぐ近くだったのです。しかも統制を欠いた赤シャツ軍団の一部がチュラロンコン病院に乱入したおかげで、入院患者は一部移動を余儀なくされたばかりか、一切の外来診療がストップしたのです。

国立病院という点では、やはり中心部にある国立のがんセンターなど、残された選択肢はほかにもありました。しかし、政府と反政府勢力が正面からぶつかっている状況ではバンコク中心部の国立病院はチュラでなくともこの際避けるべきだという結論に達しました。このころ、国立病院の外来の混乱はチュラだけではなかったのです。

もっと深刻な問題もありました。別のタイ人から、バンコクの有名国立病院は全国から患者が殺到している。がんの手術を受けたくても何か月も待たなければならないという話を聞いたのです。

検査を受けるだけでも、1か月、2か月待ちは当たり前だというのです。これは私が想像していなかった、タイの医療の現実のひとつです。ひょっとして日本の一部の大学病院も同じような状況なのかもしれませんが、それは明らかに医療体制の歪みであると感じざるをえなかったのです。

妻はチュラを早々にあきらめ、親戚のおばさんと一緒に国立がんセンターへ行ってみました。やはり知人の言っていた通り、外来患者の診療は容易なものではありません。初めて行って医者に面会することができるはずもなく、予約も今は受け付けられない状況だと看護師から聞かされたのです。

そして私たちは、乳がんの宣告を受けてから3日目に、バンコク病院で手術を受けることを決めました。

 

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