どのような表題を付けるか、迷いました。それ以前に、ブログを再開するかどうか、随分と思いあぐねてきました。
今年の1月に、庭で栽培していたイチゴをめぐって、食べてしまった犯人がわが家の犬か、庭に出現する鳥の仕業か、はたまた姿を容易には見せることのないネズミなのか・・・そんな他愛のないことを書いている途中で、ブログを3か月半も中断してしまいました。
理由はいろいろですが、一番の理由は妻の病状です。昨年の4月ごろから右の腋の皮膚に転移してきた乳がんは、日を追って勢いを増してきました。この1年、2センチが3センチ、3センチが5センチ、5センチが7センチに、そして今は10数センチと、癌細胞の増殖ぶりが目で見えます。
この1年、効果があると言われるハーブの薬や、黒ゴマ・玄米のエキスなど、いろいろと試してきました。でも結局のところ、どれも癌細胞の増殖を阻止してはくれませんでした。
主治医のチェンマイ大学の医師は、毎回毎回、抗がん剤をやったほうがいいというばかりで、傷になっていて痛みが増してくる腋の下のケアにはほとんど関心がないようでした。
今日の妻です。痛みが酷いので、先月中旬、1週間だけ地域の病院に入院しました。今は自宅にいます。その病院の若い先生がチェンマイ大学で肺の写真を撮ってもらうように強く言うので、1か月半ぶりに大学病院を訪ねたのは今月3日のことでした。そして、癌細胞は、腋の下の周辺だけではなく、両方の肺の中に充満していることが判明しました。
もう抗がん剤は使えません。もし使うとすると、数日のうちに死んでしまう可能性があると、これまで抗がん剤を勧めてきた老医師は言いました。
妻は「私はあと何か月くらい生きられるんでしょうか?」と自分から主治医に聞きました。答えは・・・「私にも分かりません。肺全体に転移していても、1年、2年と生きた人もいます。」
さすがに妻も、激しく襲ってくる癌独得の痛みに耐えられないので、すでに2か月くらい前からモルヒネを地元の病院で処方してもらって服用しています。その量は、先週から2倍になりました。
つい2週間ほど前からですが、せき込んだり呼吸が苦しくなることが頻繁になってきました。肺全体に転移しているので当然そうなってしまいます。10日ほど前から、なぜか立って歩くことも、自力では難しくなりました。わずかな期間に急に状態が悪化しました。
肺転移の事実を、腋の下の傷(癌性の傷)の手当で毎日通っている地域の診療所の看護婦さんに伝えたところ、すぐに酸素ボンベなど、自宅でケアできる用具の手配をその日のうちにしてくれました。そして家まで看護婦さんが来てくれて、使い方を指導してくれました。診療所をあげて妻の病状を気遣っていただいて本当に恐縮しています。
今日の午後、診療所からタダで借りている酸素ボンベの酸素が切れてしまいました。急遽市内の医療器具店でポータブルの酸素ボンベを買ってきました。日曜日なので仕方ありません。1万円くらいの出費です。明日にはまた大きなボンベにタダで酸素を充填してくれることになっています。
容体がよくないのは事実ですが、呼吸の楽な時はリビングでくつろいでいます。もちろん自分一人では歩けないので、みんなで支えて移動させます。いまわが家には、カムペンペットの実家からお母さん(左)と妻の妹、そしてバンコクから父親の妹にあたる叔母さん(右)が来ています。おかげで、私は10日ほど前まで一人でこなしていた家事から解放されました。20歳と19歳の娘2人はほとんど戦力になっていません。
妻の看病は、主として私とバンコクの叔母さんが妻のそばにいて、24時間体制で当たっています。モルヒネは1日6回、4時間おきに投与しますので、夜もあまり眠れません。昨夜は深夜の1時頃から4時ころまでかなり苦しそうにしていたので、私たちもほとんど眠れませんでした。一番つらいのは妻、そして看病、介護する家族も、同じくらい辛いものがありますね。
長くなると私も疲れるので?今日はここまでにします。表題の「妻をこんなに愛していたことに気づいたけれど・・・」の意味は、また次の機会に書くことにしましょう。
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家買っていずれはチエンマイで生活と考えております、一軒に病人が出ますと介護が大変です頑張ってください、
良くなるように日本から願っています。
傳刀 輝征
初めての経験で少々疲れてますが、妻のためにがんばります!