徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

寂光院~ 平家物語の舞台

2011-11-26 01:53:57 | 京都散歩
寂光院(じゃっこういん)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。山号を清香山と称する。寺号は玉泉寺。本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は聖徳太子と伝える。平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られる

寂光院は天台宗の尼寺で、山号を清香山、寺号を玉泉寺といい、寂光院は玉泉寺の子院であった。推古2(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。




光院本堂
桃山時代頃の建築の特色を残していると言われていた寂光院本堂は、平成12年(2000)5月9日未明、不慮の火災により焼失した。
再建は小松前住職の「すべて元の通りに」の言葉通りに、焼け残った木組みや部材を入念に調査し、材木を吟味して、5年の歳月を経て平成17年6月2日に落慶した。
ヒノキ材で屋根は木柿葺(こけらぶき)。


手前に少しだけ見えるのは
千年姫小松 (御神木)




建礼門院(けんれいもんいん)
 第3代の建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)は、文治元(1185)年9月に入寺し、真如覚比丘尼と称した。そして源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされた。






諸行無常の鐘楼

本堂の正面の池の汀にある江戸時代に建立された鐘楼には、「諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かっている。
鐘身に黄檗宗16世の百癡元拙(1683-1753)撰文になる宝暦2年(1752)2月の鋳出鐘銘があり、時の住持は本誉龍雄智法尼、弟子の薫誉智聞尼で、浄土宗僧侶であった。




孤 雲 (茶室)
京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室を造り、昭和6年3月に千宗室宗匠をたのみて献茶式を催し茶室開きを行ったものである。
「孤雲」の名のいわれは、建礼門院のもとを訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に諸経の要文とともに貼られた色紙のなかに、「笙歌遥かに聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」という大江定基の歌とともに、「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」という女院の歌を御覧になって、一行涙にむせんだという『平家物語』の大原御幸のなかの一節にちなむ。






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