2024 11/27 京都市左京区大原来迎院町
三千院は門跡の一つで、門跡とは天台宗のお寺で皇族や貴族が住職をする由緒あるお寺のことです。三千院、妙法院、青蓮院を三門跡、そこに毘沙門堂、曼殊院を含めて五門跡と言います。
参道には土産物店・茶店 左に並びます
三千院は元々は比叡山坂本にありましたが時代の流れの中で何度も移転し、現在の大原には明治維新後にやってきました。1200年の歴史を持つ格式高いお寺になります。
坂本の梶井門跡は貞永元年(1232年)の火災をきっかけに今の京都市内に移転した。洛中や東山の各地を転々とした後、船岡山東麓の梶井門跡は応仁の乱(1467年 - 1477年)で焼失し、大原の政所を本坊とした。
御殿門(ごてんもん)
庭園「聚碧園(しゅうへきえん)」池泉観賞式庭園で客殿の周囲に広がる。江戸時代の茶人・金森宗和(かなもりそうわ)の作庭と伝えるが確証はない
有清園は宸殿より往生極楽院を眺める池泉回遊式庭園で、中国の六朝時代を代表する詩人・謝霊運(しゃれいうん 385-433)の「山水清音有(山水に清音有り」より命名されました。
4宸殿 - 本堂。1926年(大正15年)建立。宮中の紫宸殿を模して宮殿風に造られた建物で、宮中仏事を引き継ぐ行事である5月30日の宮中御懺法講(きゅうちゅうおせんぼうこう)が行われる道場。中の間には、最澄作と伝わる本尊の秘仏薬師瑠璃光如来像を安置する
青苔に杉や檜などの立木が並び、山畔を利用して上部に三段式となった滝を配し、渓谷式に水を流して池泉に注ぐようになっています。宸殿の向かいにある往生極楽院の横に弁天池があります。
往生極楽院南側、弁天池の脇にたたずむ小さなお地蔵・わらべ地蔵
三千院の境内は、境内南を流れる呂川(りょせん)と北を流れる律川(りつせん)という2つの川に挟まれている
川沿いには「おさな地蔵」が並んでいる
苔の上に立つ可愛らしい地蔵様
少し高いところから有清園 庭園と西方門を望む
左の方に朱雀門
三千院は門跡の一つで、門跡とは天台宗のお寺で皇族や貴族が住職をする由緒あるお寺のことです。三千院、妙法院、青蓮院を三門跡、そこに毘沙門堂、曼殊院を含めて五門跡と言います。
参道には土産物店・茶店 左に並びます
三千院は元々は比叡山坂本にありましたが時代の流れの中で何度も移転し、現在の大原には明治維新後にやってきました。1200年の歴史を持つ格式高いお寺になります。
坂本の梶井門跡は貞永元年(1232年)の火災をきっかけに今の京都市内に移転した。洛中や東山の各地を転々とした後、船岡山東麓の梶井門跡は応仁の乱(1467年 - 1477年)で焼失し、大原の政所を本坊とした。
御殿門(ごてんもん)
庭園「聚碧園(しゅうへきえん)」池泉観賞式庭園で客殿の周囲に広がる。江戸時代の茶人・金森宗和(かなもりそうわ)の作庭と伝えるが確証はない
有清園は宸殿より往生極楽院を眺める池泉回遊式庭園で、中国の六朝時代を代表する詩人・謝霊運(しゃれいうん 385-433)の「山水清音有(山水に清音有り」より命名されました。
4宸殿 - 本堂。1926年(大正15年)建立。宮中の紫宸殿を模して宮殿風に造られた建物で、宮中仏事を引き継ぐ行事である5月30日の宮中御懺法講(きゅうちゅうおせんぼうこう)が行われる道場。中の間には、最澄作と伝わる本尊の秘仏薬師瑠璃光如来像を安置する
青苔に杉や檜などの立木が並び、山畔を利用して上部に三段式となった滝を配し、渓谷式に水を流して池泉に注ぐようになっています。宸殿の向かいにある往生極楽院の横に弁天池があります。
往生極楽院南側、弁天池の脇にたたずむ小さなお地蔵・わらべ地蔵
三千院の境内は、境内南を流れる呂川(りょせん)と北を流れる律川(りつせん)という2つの川に挟まれている
川沿いには「おさな地蔵」が並んでいる
苔の上に立つ可愛らしい地蔵様
少し高いところから有清園 庭園と西方門を望む
左の方に朱雀門
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