徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2011 京都紅葉 もみじの永観堂

2012-01-09 13:43:14 | 京都散歩
12/3(土)光明院の後、京阪鳥羽街道駅から三条で地下鉄東西線に
乗り換え、蹴上駅で降りて南禅寺を少し散策してから永観堂。
もう13:00近くになっていた
この時期特別拝観料1000円で割高
しかし紅葉は素晴らしかった

伽藍と多宝塔


多宝塔と紅葉
多宝塔-境内の最も高い位置にあり、景観上重要な位置を占めている。1928年(昭和3年)、篤志家の寄付で建設された。














放生池前の茶店にて

紅葉より団子

弁天社への橋








いちょうの黄の敷紅葉と赤の楓の紅葉が美しい




本堂前の紅葉


仏様と紅葉

阿弥陀堂-御影堂より一段高い敷地に位置する。慶長年間(17世紀初)頃の建築。本尊の「顧り(みかえり)阿弥陀」像(重文)を安置する。




通路脇にある苔むした石と紅葉が絵になる

多宝塔まで登って境内と西の市街を眺める

苔と敷紅葉のハーモニー

庭園



庭園の池と紅葉

松の光沢ある緑も紅葉を引き立てます

形のいい見事な松

白砂の庭園 方丈前の唐門(勅使門)



雨が降り出した

見返り阿弥陀の本堂から 見返り阿弥陀様は撮影禁止。じっくり見てきた

鐘楼脇の紅葉はなぜ映えるのだろう


再び雨に濡れた茶店脇を通る




このお堂(画仙堂)には金色の紅葉屏風が展示されていた


お堂の中から紅葉を

画仙堂




寺の関係者が壁に落葉で文字アート







永観堂
正式な寺名は禅林寺
山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。本尊は阿弥陀如来、開基は斎衡2年(855)、空海の高弟の真紹僧都である貞観5年(863)には天皇から定額を得た。その後、一時衰えたが平安時代の末の承暦年間(1077~1081)に、民間に念仏を広めた永観僧侶が住持となり、念仏道場を開き、寺を中興した。永観はこれにより中興開山と呼ばれ、寺名も永観堂の通称で呼ばれるようになった

当寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛んである

禅林寺の本尊阿弥陀如来立像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像である。この像については次のような伝承がある。永保2年(1082年)、当時50歳の永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという

そうだ京都行こう-永観堂 1996年10月







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