2016 5/21 ピースバスツアー
第14師団隷下の歩兵66連隊・厨房関連施設として建築された建物の1部が、現在宇都宮中央女子高の倉庫・多目的ホール
として使用されている
この厨房棟は、かつての軍都・宇都宮の第14師団の施設としては唯一の遺構で、貴重な歴史的建造物として国の
登録文化財となっている
沿革)
第14師団は、日露戦争の最中・明治38年(1905)年4月に九州の小倉で編成された。戦地を転戦して明治40年に内地に帰還した後
、同年11月から師団司令部・第27旅団司令部・歩兵第59連隊・歩兵第66連隊・野砲20連隊・騎兵18連隊・車重14大隊などが
宇都宮に常駐した。さらに宇都宮には師団衛戊病院・糧廠・兵器廠・憲兵司令部がおかれた。現在ある建物は、歩兵第66連隊が
宇都宮に常駐した頃、明治41年ごろの建築と考えられる
門は現在の中央女子高の正門の位置にほぼ同じ
その後、歩兵第66連隊は軍縮等により廃止され、この建物は昭和3(1928)年から栃木師範学枚の理
科室験実習室として 昭和31年からは県立宇都宮央女子高等学枚の倉庫として使用され、平成14年に
は多目的ホールとして使用できるように改修(第2次)された
中はモダンなフローリング張りとなっている
昔は石の床だった
この建物の屋観は平成12年の改修工事(第一次)までは、長い間切妻造の鉄板瓦棒葦であった。
建物はレンガ造りの平屋建て、基礎部分は割栗石と捨てコンクリートの上に55cmの高さにレンガを積み、
芦野石を化粧台石に置いている。外璧はレンガをイギリス積みとし 室内側に2cmの漆喰を塗り地盤から4.3mの高さまで
積み上げ、越屋根(切妻造りの大屋根の上に、さらに換気や採光用の小屋根を設けるもの)を靖成する木造トラスの小屋組を
載せている。
小屋組を構成する主な部材の寸法は、陸梁15cm X21Cm、合掌16Cm×20Cm 真束15Cm×15Cmで、母屋は
12cm X20cmである。
その後、歩兵第66連隊は軍縮等により廃止され、この建物は昭和3(1928)年から栃木師範学枚の理
科室験実習室として 昭和31年からは県立宇都宮央女子高等学枚の倉庫として使用され、平成14年に
は多目的ホールとして使用できるように改修(第2次)された。
窓はアーチ状の欄間を設けた高さ1.8mの上下げ窓が東面に6カ所、西南に5カ所ある
この歩兵第66連隊厨房棟は 当時の「庖厨浴室及魚菜調理所」の庖厨浴室棟の庖厨部分(棟)と考えられる。
歩兵隊の当時の各建物平面図によると梁間が5間で桁行は45間あり桁行き45間のうち、27間が庖厨部分、残り
の18間が浴室に充てられていた
庖厨部分は「炊事掛室」、「米庫」(2室合わせて桁行き2間)
と「炊飯所及配食所」(1室で桁行き7間)を一組(合わせて9間」とする構成である
現在の敷地は、歩兵第66連隊から栃木師範学枚、そして県立宇都宮央女子高枚へと変わる過程で
幾つかに分割された一部である。敷地を分割する境界線が庖厨棟中央の炊飯所及配食所」を2分したため、南側(中央女子高側)
の桁行14.5間が残り、北側(警察学校側)の桁行12.5間は取り壊された。
近隣の過去見取り図による、と隣の敷地は歩兵第59聯隊兵営となっている。北は広大な練兵場
歩兵第五十九連隊は、日露戦争の末期=明治三十八年 (一九〇五)七月、第十五師団の創設とともに
千葉県習志野で編制された部隊
師団の編成替えで新設された第14師団に編入され、明治四十二年(1909) 国本村宝木(現 県ポリテクセンタ-、
若草養護学校、身障者医療福祉センタ-付近)へ、習志野から移駐してきた
第五十九連隊は、本県を中心に関東各県などから徴兵された甲種合格の屈強な若者たちで編制された。
営門の左手に衛兵所があり、衛兵所の裏手には面会所があった。
当時、連隊のあった宝木(国本村)一帯は草茫々の荒野原で、とりわけ50ヘクタールの宝木練兵場の整地は容易なものでは
なかったようだ+
頂いた資料より抜粋 古写真は 書籍 昔日の宇都宮 から
第14師団隷下の歩兵66連隊・厨房関連施設として建築された建物の1部が、現在宇都宮中央女子高の倉庫・多目的ホール
として使用されている
この厨房棟は、かつての軍都・宇都宮の第14師団の施設としては唯一の遺構で、貴重な歴史的建造物として国の
登録文化財となっている
沿革)
第14師団は、日露戦争の最中・明治38年(1905)年4月に九州の小倉で編成された。戦地を転戦して明治40年に内地に帰還した後
、同年11月から師団司令部・第27旅団司令部・歩兵第59連隊・歩兵第66連隊・野砲20連隊・騎兵18連隊・車重14大隊などが
宇都宮に常駐した。さらに宇都宮には師団衛戊病院・糧廠・兵器廠・憲兵司令部がおかれた。現在ある建物は、歩兵第66連隊が
宇都宮に常駐した頃、明治41年ごろの建築と考えられる
門は現在の中央女子高の正門の位置にほぼ同じ
その後、歩兵第66連隊は軍縮等により廃止され、この建物は昭和3(1928)年から栃木師範学枚の理
科室験実習室として 昭和31年からは県立宇都宮央女子高等学枚の倉庫として使用され、平成14年に
は多目的ホールとして使用できるように改修(第2次)された
中はモダンなフローリング張りとなっている
昔は石の床だった
この建物の屋観は平成12年の改修工事(第一次)までは、長い間切妻造の鉄板瓦棒葦であった。
建物はレンガ造りの平屋建て、基礎部分は割栗石と捨てコンクリートの上に55cmの高さにレンガを積み、
芦野石を化粧台石に置いている。外璧はレンガをイギリス積みとし 室内側に2cmの漆喰を塗り地盤から4.3mの高さまで
積み上げ、越屋根(切妻造りの大屋根の上に、さらに換気や採光用の小屋根を設けるもの)を靖成する木造トラスの小屋組を
載せている。
小屋組を構成する主な部材の寸法は、陸梁15cm X21Cm、合掌16Cm×20Cm 真束15Cm×15Cmで、母屋は
12cm X20cmである。
その後、歩兵第66連隊は軍縮等により廃止され、この建物は昭和3(1928)年から栃木師範学枚の理
科室験実習室として 昭和31年からは県立宇都宮央女子高等学枚の倉庫として使用され、平成14年に
は多目的ホールとして使用できるように改修(第2次)された。
窓はアーチ状の欄間を設けた高さ1.8mの上下げ窓が東面に6カ所、西南に5カ所ある
この歩兵第66連隊厨房棟は 当時の「庖厨浴室及魚菜調理所」の庖厨浴室棟の庖厨部分(棟)と考えられる。
歩兵隊の当時の各建物平面図によると梁間が5間で桁行は45間あり桁行き45間のうち、27間が庖厨部分、残り
の18間が浴室に充てられていた
庖厨部分は「炊事掛室」、「米庫」(2室合わせて桁行き2間)
と「炊飯所及配食所」(1室で桁行き7間)を一組(合わせて9間」とする構成である
現在の敷地は、歩兵第66連隊から栃木師範学枚、そして県立宇都宮央女子高枚へと変わる過程で
幾つかに分割された一部である。敷地を分割する境界線が庖厨棟中央の炊飯所及配食所」を2分したため、南側(中央女子高側)
の桁行14.5間が残り、北側(警察学校側)の桁行12.5間は取り壊された。
近隣の過去見取り図による、と隣の敷地は歩兵第59聯隊兵営となっている。北は広大な練兵場
歩兵第五十九連隊は、日露戦争の末期=明治三十八年 (一九〇五)七月、第十五師団の創設とともに
千葉県習志野で編制された部隊
師団の編成替えで新設された第14師団に編入され、明治四十二年(1909) 国本村宝木(現 県ポリテクセンタ-、
若草養護学校、身障者医療福祉センタ-付近)へ、習志野から移駐してきた
第五十九連隊は、本県を中心に関東各県などから徴兵された甲種合格の屈強な若者たちで編制された。
営門の左手に衛兵所があり、衛兵所の裏手には面会所があった。
当時、連隊のあった宝木(国本村)一帯は草茫々の荒野原で、とりわけ50ヘクタールの宝木練兵場の整地は容易なものでは
なかったようだ+
頂いた資料より抜粋 古写真は 書籍 昔日の宇都宮 から
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