足尾町の繁華街の今と昔
日光市足尾町の人口の減少が続いている。同町の人口は大正5年に38,428人を数え、約58,000人の宇都宮市に次いで栃木県第2位だった。昭和48年2月28日の銅山閉山時は9,632人。現在は2,000人を割ってしまった。
亡父が幼少期を過ごした通洞付近。明治時代に生野銀山からやってきた曽祖父の兄弟達が足尾銅山で飯場頭をやっていたというのを知ったのは3年ほど前の父亡きあと。それまで何回か足尾町には足を運んでいるが、町の様子はそう大きく変わらず、昭和の面影のある風景が好きである。とはいえ時代とともに無くなっていくものは多い。
撮影は2016~2017年
わたらせ渓谷鉄道 通洞駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/61/56fb41b2900d01ed1f70c0e4bf4dfe50.jpg)
時間帯により、無人駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/81/a4ee68232858dbab6e49d263fb452faa.jpg)
駅前広場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/57/34526fd86d66450ef2cc4c974d5d76b7.jpg)
駅前にあるこの朽ちた2階建ての御屋敷は何だろうと調べていたら、明治末から大正初期の「鳥茂」という芸者屋(置き屋)だった
その後住居として使われていたのだろうか、そんな古い建物が現在することがタイムスリップした感が・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/f6/9c9146812f9fc61cabb64ebce3ffd638.jpg)
この倉も使われている様子がない・・今は足尾銅山観光の最寄り駅となっている通洞駅は、かつて駅を降りれば両側に芸者屋と料理屋、すぐ近くには泉屋旅館、鶴屋旅館などがあり、大変賑わっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/2d/cf8bb7e286c87ea362ae846c2320aaf5.jpg)
通洞駅前の案内板には、「明治40年発行 栃木県営業便覧」による松原地区の町並みが記されていて、「末広屋 芸者」「大和屋 芸妓」「中橋 芸者屋」などの記述があり、この一帯が花街繁華街であったことを知ることができる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/fd/7f362a4fcda30ddff081a989421ffa86.jpg)
現在の通洞駅 松原・赤沢付近の地図 下に記載された3軒の旅館、劇場は既にない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/34/624fb577711ed83735359821b766cda5.jpg)
これは大正5年に作成された足尾町の全地図の復刻版、同地域の抜粋地図。 鉄道に沿った赤く記された道はたぶんガソリンカーの敷設道(それ以前はトロッコ馬車が走っていた) オレンジ色で囲ったみた場所は 鶴屋旅館・泉屋旅館・一丸旅館 そして劇場“金田座”である
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/36/ff7dcd5cf29ecfebec0a8f9cea74cca1.jpg)
過去の写真ヲ引用させていただく
向かって左が幕末からある鶴屋旅館…昭和9年8月焼失。
向かって右が泉屋旅館…明治22年から平成17年…2005年まで現存していましたが解体して土地を返納。
どちらも足尾銅山の御用達でしたが、鶴屋旅館は古河市兵衛が足尾入りする以前に英国人技師が宿泊しており明治13年・17年にはアーネストサトウもお泊まりしています。
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泉屋旅館 昭和期
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一丸旅館 大正期?
明治末に割烹旅館として開業し、鶴屋廃業後はそれに代わる旅館として足尾銅山の繁栄と共に育った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/e5/16b4bd2be385ae934adf3e1a062e7f83.jpg)
一丸旅館 1990年台
回顧録より・女将さんは「町の劇場に古河さんが呼んだ芸能人がたくさん泊まった」と語る。東海林太郎、霧島昇、渥美清、加藤剛、竹脇無我、島田陽子、島倉千代子等数多い。また山肌が露出してしまった足尾の山は「日本のグランドキャニオン」と言われ、いくつかの映画のロケ地になりました。最も有名なのは五味川純平の代表作『人間の条件』。加藤剛、東野英治郎などの俳優が一丸旅館に長期間滞在して満州のシーンを撮ったそうです。
銅山閉山後、客足が減り後継者が得られないことから、平成10年で廃業予定・・1999(平成11)年、火災で全焼してしまいました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/6e/9df9e4024754c24679c63f0ad2c473a4.jpg)
足尾劇場(旧・金田座)
近代の足尾銅山全盛期時代、足尾には多くの貸席や劇場があった。
その筆頭が金田座である。明治30年代後半の建築という。木造2階建てで収容人員は3千人を超す規模を誇った。明治大正時代の労働運動の演説会場にも、数多く使用されるという歴史もある。明治時代の座主は金田徳松、大正初期に片山市右衛門が経営を引き継ぎ、戦後は足尾キネマの青木氏が買収したが、TVの普及などの理由で休館し、朽ちるに任されていた。今は取り壊されて、町営の老人福祉施設に生まれ変わっている。
全盛期の座主、片山市右衛門は明治17(1884)年に生野銀山から仲間三人と足尾にやってきた人で、雑夫飯場・銀谷組を作り、大正初めに飯場を廃業し、その後は興業と古物商を営んだ。作家の故・立松和平氏の曾祖父である。(引用:村上安正氏・銅山の町・足尾を行く)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/8e/b950829d762d409a623269f44b412db8.jpg)
町中を散歩する
駅前の観光案内所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/53/6e78d541e3399bedebe8952de5b08ae9.jpg)
駅近く ますや精肉店 コロッケやメンチカツをよく買った
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/6a/a2b897b74e338202d0ebcd15c9d3e9f2.jpg)
老舗の菓子店
平日だと人通りも少ないのでシャッターを下ろしているのかな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/d7/9a39d3dc55d78e908dc0c843e4e70a2c.jpg)
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専念寺
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昭和の雰囲気の本屋
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かつての鉱山社宅の様な建物が少し残っている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/d1/6c52137fbf930684d1de2f9e51dbdbb8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/22/5aebf84bacf96944bb516ac2d22ff801.jpg)
故・立松和平氏 1980年台TV:心の水紀行
立松さんは“子どものころから足尾にはよく来ていました。そうしたこともあり、植樹デーには毎年欠かさず来ています。”
2010年2月8日に立松さんは急遽されました
日光市足尾町の人口の減少が続いている。同町の人口は大正5年に38,428人を数え、約58,000人の宇都宮市に次いで栃木県第2位だった。昭和48年2月28日の銅山閉山時は9,632人。現在は2,000人を割ってしまった。
亡父が幼少期を過ごした通洞付近。明治時代に生野銀山からやってきた曽祖父の兄弟達が足尾銅山で飯場頭をやっていたというのを知ったのは3年ほど前の父亡きあと。それまで何回か足尾町には足を運んでいるが、町の様子はそう大きく変わらず、昭和の面影のある風景が好きである。とはいえ時代とともに無くなっていくものは多い。
撮影は2016~2017年
わたらせ渓谷鉄道 通洞駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/61/56fb41b2900d01ed1f70c0e4bf4dfe50.jpg)
時間帯により、無人駅
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駅前広場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/57/34526fd86d66450ef2cc4c974d5d76b7.jpg)
駅前にあるこの朽ちた2階建ての御屋敷は何だろうと調べていたら、明治末から大正初期の「鳥茂」という芸者屋(置き屋)だった
その後住居として使われていたのだろうか、そんな古い建物が現在することがタイムスリップした感が・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/f6/9c9146812f9fc61cabb64ebce3ffd638.jpg)
この倉も使われている様子がない・・今は足尾銅山観光の最寄り駅となっている通洞駅は、かつて駅を降りれば両側に芸者屋と料理屋、すぐ近くには泉屋旅館、鶴屋旅館などがあり、大変賑わっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/2d/cf8bb7e286c87ea362ae846c2320aaf5.jpg)
通洞駅前の案内板には、「明治40年発行 栃木県営業便覧」による松原地区の町並みが記されていて、「末広屋 芸者」「大和屋 芸妓」「中橋 芸者屋」などの記述があり、この一帯が花街繁華街であったことを知ることができる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/fd/7f362a4fcda30ddff081a989421ffa86.jpg)
現在の通洞駅 松原・赤沢付近の地図 下に記載された3軒の旅館、劇場は既にない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/34/624fb577711ed83735359821b766cda5.jpg)
これは大正5年に作成された足尾町の全地図の復刻版、同地域の抜粋地図。 鉄道に沿った赤く記された道はたぶんガソリンカーの敷設道(それ以前はトロッコ馬車が走っていた) オレンジ色で囲ったみた場所は 鶴屋旅館・泉屋旅館・一丸旅館 そして劇場“金田座”である
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/36/ff7dcd5cf29ecfebec0a8f9cea74cca1.jpg)
過去の写真ヲ引用させていただく
向かって左が幕末からある鶴屋旅館…昭和9年8月焼失。
向かって右が泉屋旅館…明治22年から平成17年…2005年まで現存していましたが解体して土地を返納。
どちらも足尾銅山の御用達でしたが、鶴屋旅館は古河市兵衛が足尾入りする以前に英国人技師が宿泊しており明治13年・17年にはアーネストサトウもお泊まりしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b5/9448f991c4e80c705bc6f71cc3fdc544.jpg)
泉屋旅館 昭和期
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一丸旅館 大正期?
明治末に割烹旅館として開業し、鶴屋廃業後はそれに代わる旅館として足尾銅山の繁栄と共に育った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/e5/16b4bd2be385ae934adf3e1a062e7f83.jpg)
一丸旅館 1990年台
回顧録より・女将さんは「町の劇場に古河さんが呼んだ芸能人がたくさん泊まった」と語る。東海林太郎、霧島昇、渥美清、加藤剛、竹脇無我、島田陽子、島倉千代子等数多い。また山肌が露出してしまった足尾の山は「日本のグランドキャニオン」と言われ、いくつかの映画のロケ地になりました。最も有名なのは五味川純平の代表作『人間の条件』。加藤剛、東野英治郎などの俳優が一丸旅館に長期間滞在して満州のシーンを撮ったそうです。
銅山閉山後、客足が減り後継者が得られないことから、平成10年で廃業予定・・1999(平成11)年、火災で全焼してしまいました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/6e/9df9e4024754c24679c63f0ad2c473a4.jpg)
足尾劇場(旧・金田座)
近代の足尾銅山全盛期時代、足尾には多くの貸席や劇場があった。
その筆頭が金田座である。明治30年代後半の建築という。木造2階建てで収容人員は3千人を超す規模を誇った。明治大正時代の労働運動の演説会場にも、数多く使用されるという歴史もある。明治時代の座主は金田徳松、大正初期に片山市右衛門が経営を引き継ぎ、戦後は足尾キネマの青木氏が買収したが、TVの普及などの理由で休館し、朽ちるに任されていた。今は取り壊されて、町営の老人福祉施設に生まれ変わっている。
全盛期の座主、片山市右衛門は明治17(1884)年に生野銀山から仲間三人と足尾にやってきた人で、雑夫飯場・銀谷組を作り、大正初めに飯場を廃業し、その後は興業と古物商を営んだ。作家の故・立松和平氏の曾祖父である。(引用:村上安正氏・銅山の町・足尾を行く)
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町中を散歩する
駅前の観光案内所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/53/6e78d541e3399bedebe8952de5b08ae9.jpg)
駅近く ますや精肉店 コロッケやメンチカツをよく買った
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/6a/a2b897b74e338202d0ebcd15c9d3e9f2.jpg)
老舗の菓子店
平日だと人通りも少ないのでシャッターを下ろしているのかな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/d7/9a39d3dc55d78e908dc0c843e4e70a2c.jpg)
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専念寺
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昭和の雰囲気の本屋
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かつての鉱山社宅の様な建物が少し残っている
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故・立松和平氏 1980年台TV:心の水紀行
立松さんは“子どものころから足尾にはよく来ていました。そうしたこともあり、植樹デーには毎年欠かさず来ています。”
2010年2月8日に立松さんは急遽されました
とても懐かしく拝見させていただきました。
こちらの一丸旅館の写真は、1997年に私が初めて宿泊した日に撮影したものでとてもよく覚えています。
もう20年以上更新のない私のHPを訪問していただき、誠にありがとうございました。
もしよろしければもっと画質の良いデータをお渡ししますので、ご一報ください。
足尾銅山記念館建設についての記述を興味深く拝見しました。
今後の更新を楽しみにしています。
写真を無断転載使用ご容赦ください。
Kthomeさん編曲の足尾の四季。も中才鉱山社宅の動画で使わさせてもらってます。
年々古い建物が姿を消しつつあります。
記事の鳥茂置屋、倉、選鉱所前の煉瓦湯力発電所の廃墟も更地になってしまいました