1月20日生まれ
アンドレ・マリー・アンペール(1775~1836)
「電気のニュートン」
フランス 物理学者 (1月22日説もあります)
富裕な商人の子としてリヨンに生まれました。片田舎で近くに学校がなく、父から
教育を受けましたが、家庭教師についたほかは独学で、幼時から数学と語学にすば
らしい秀才ぶりをあらわし、12才までに知られていたすべての数学を学んだと伝
えられています。ルソーの「植物誌」を読んでからは、化学を志すようになりまし
た。
14歳のときフランス革命が起こり、後に父は保守派の一人としてギロチンで処刑
され、その心痛で一時は生きた屍のような生活を送りましたが、その後、苦学の末、
28歳でリヨンの高校の教師となります。
45歳でコレジュ・ド・フランス(パリ理工科大学)の教授となった彼は、エール
ステッドの発見をもとに、電流と磁界の向きとの関係を明らかにした「右ネジの法
則」や、電流の相互作用を体系づけた「アンペールの法則」などを発見しました。
その業績により「電気のニュートン」とも言われています。電流の実用単位アンペ
ア(A)は、没後45年もたった1881年に彼の名を記念して採用されたもので
す。
この他に物体の原子論的構造を論じ、粒子、分子、原子を区別し、晩年には科学的
思索にも心を傾け、科学分類論を展開しました。1836年、マルセーユに視察旅
行の途中、肺炎がもとで62歳の一生を終えました。
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エールステッドの発見(デンマークの物理学者)
コンパス(磁針)のそばで、銅線に電流を流したり、切ったりすると、コンパスの
針が振れる事から「電流の変化が磁気を生む」という発見をした。
1アンペア
1ボルトの電位差を持つ2点を1オームの抵抗で結んだ時に流れる電流の大きさ。
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アンペールの才能は、皇帝・ナポレオンにも認められており、教育総監に任命され
ています。
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彼は大学の監督官であったのでよく旅行をしましたが、その行き先で得た着想にし
たがって「マルセイユの提案」とか名づけていたそうです。また、研究室でも、座
っていてはよい考えが浮かばないのか、部屋中を歩きまわるくせがあったというこ
とです。
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