昨夜はカルシウムに気を配って、お魚料理にしました
主人もわたしも、基本お肉が好きなほうで。。。
子どもたちがちいさかった時は、よくバーベキューに連れて行ったあげたものです。
月に一回は焼き肉の日をつくって、微笑ましい肉とり合戦も展開されたものでした。
が、昨夜はお魚。
お魚をたべると~アタマがよくなる~
という歌があるんじゃないの?
。。。と、魚ぎらいの主人にはそう説得して食べさせました。
ところで話は変わりますが。
わたしく千恵。
臓器の意思表示カードに、「脳死・心臓停止後に臓器を提供する」を選んで、臓器提供することにしました。
わたしが亡くなった後で、おなかを切って臓器を取り出して、臓器を求めている人に提供する、ということで、わたしの体の一部が誰かのおなかのなかで生き続けるもの、と思えば、臓器提供した意義があるのでは、と思い提供する意思を表示することにしました。
実は短大時代、当時付き合っていた彼氏が医学部の学生さんだったこともあって、解剖のために献体するということを考えていたときもありました。彼氏の執刀、を条件に(冷静に考えれば、それはたぶん無理だったと思う)。あまりにも彼氏が好きすぎて、ですね。
しかしその彼氏とは、短大を卒業してからまもなく、自然消滅しました。そのときになって恋の病から覚め。一時的な恋によって、自分の体が解剖されることに怖さ?を感じ。そんな遺言、しなくてよかったな。。。と思いました。恋は盲目といわれますが、まさにそのとおりなのかも。
臓器の提供も、解剖と同じおなかを切る、ということですが、家族は賛成。
死してもなお、わたしの臓器がだれかのおなかのなかで生き続けることに、家族は称賛してくれました。
とくに娘は大賛成。
まだ決心していないようですが、娘も臓器を提供するかどうか、考える、とのことでした。
まあこれは強制するものではないので、本人がよく考えて、結論を出してくれればいいので。
まだ。
50歳になった実感がありません~~
気持ちは40代。30代、といっていいのかしら。
50代になっても、それに見合った愛らしい自分であり続けていきたいなぁ、と思っております
愛らしく生きていき、臓器を提供することで他人のために美しく散る。
そうありたい、と思います。
ではまた
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