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【フクシマ見聞録】福島には、親である自分の身は福島にとどめて、子を逃がした方が多くいる ※54回目の紹介

2016-12-26 22:01:24 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。54回目の紹介

【フクシマ見聞録】

福島には、親である自分の身は福島にとどめて、

子を逃がした方が多くいる

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年12月09日のツイートから


福島行-松江院長は言った。「それからもう一つはね、、えともう一つはね、
県が言ってきていることはね、チェルブイリでは甲状腺癌が出てきたのはね、
『事故以後五年ぐらいだ』と言うんですよね。

だけれどデータ見るとね、五年以内にもあるんです。
で、”事故後五年以後か”っていうことなんです。-

 

-「で考えてみるとですね、チェルノ’の事故というのは1986年なんですよね。
それでわたしがね超音波の仕事はじめたのが1980年ぐらいなんです。
で、その頃は今のような超音波の装置は”なかった”。

したがって、チェルノ’なんてソ連ですからね、
だから今よりももっと遅れているはずなんです-

 

-「だから、”1990年以前に”、そのね、小さな甲状腺癌を発見する手段が
”まったく無かった”。

なので五年間に、あの、、甲状腺癌が発生して、
その後、見つかってきたのが1991年とこうこれ言ってるんですよね、
だけどね1991年の頃ってね、わたし”装置は無かった”と思う。-

 

-「それじゃどうやって見つけたかというと、もう触って、
誰が触ってもわかるぐらいの大きな癌、これどのくらいの大きさかというと
2センチ3センチ以上なんです。

それではじめて発見されたん”だろう”と思うわけですよね。

で、その1991年ころに、日本人もね、けっこう行ってるんですよ。-

 

-「で超音波の装置持ってなんたらかんたらとか言ってるんですが、
どんな装置をもってねやったのか、これはまったく分かりません。

だけれども、いまあの報告されている記録にもどるとね、
1991年”以後”なんです、日本人が行っている、検査したのは。
ということはどういうことかっていうと、-

 

-「チェルノ’の事故があって、事故があって、
”事故があった以後5年間は何もない”ということなんです、データが。ね

。で、”にもかかわらず”、チェルノ’では五年間癌が発生していないから、
今福島で癌が発生したのは二年以内だから、あるいは放射線と関係がないなんて、-

 

-「まったくねわけのわからない論理としか思えない。

だからね、あれも”ゆるせない”とわたし思うんですよね。

で、まあそういうような、、で、わたしはですね、これ、、もう一枚、、。
そのA2判定というのを異常がない、というところの枠に入れてるのは
絶対これわたしは”間違え”だと思うんです。-

 

-「だから、A2判定はA2判定でいいけれども、これはね、
”精密検査を要するものである”。

それからAのなかのA1は全く異常がない、これはいい。

だけれどA2判定も、これは精密検査を”要する”というね、
くくりにすべきなんですよ。

だから、それをそういう姿勢はないと言っているものを-

 

-「まったく間違えだとわたしは思う。
それでまあ、もうだんだん時間がなくなって来ましたが、
まああの、われわれ診療所はさっき最初に言いましたけれども、

あの、、タダ働きで医者も一生懸命やっています。

で、できるだけ、みなさんがたの、、、
なにしろね日本全体が医療の不信ですからね。-

 

-「だからその、不信のなかで、われわれの医療は
”安心してください””信頼してください”ということを、
みなさんがたに”納得できるようなことを”
これからも続けてゆきたいと思います。

それからとくに、被曝との問題なんていうのもこれはね、そのね、、-


-「あらかじめ隠そう隠そうというふうじゃなくて、
”実際に起きた”んですから、ね。

起きたことに関する問題は問題として、追及しなければいけませんけれども、
”現実に起きて”、まあ生活している、
で、それをね、隠したところで”どうしようもないじゃないですか”。-

 

-「で、むしろ、隠さずに、こう、、、。そもそも原発作ったこと自身がね、
だって”隠しようがないじゃないですか”そんなものは。

そもそもおそろしい物造ったんだから、造った物は隠しようが
ないんだから今ある事故のね、

(事故に)よって起きていることを隠したってどうしようもないんで、-

 

-「それをどうするかという事を真剣に国が考えるべきだと思うんですよね。
で、それはそうとして、で我々は診療所としてですはね、

まあ皆さん方のお子さんを抱えているお母さんたちに、
まあ非常に不安だと思うんですね。

で、お子さんの事だけ考えてますけどね、大人の方がこういうセリフを言うんです-

 

-「『いまわたしは被曝しているかもしれない。
健康障害があるかもしれない。

だけど、もう先は短いからわたしたちはいい、
こどもだけなんとかしてくれ-』まあ、それはそうなんです、

日本の未来考えたら。だけどもおとなだって今必要じゃないですか、ねえ、-」
松江医師の言葉はここで緊張をゆるめた-

 

-”おとなだって、健康に生きてゆくべきだ-。

”松江院長は、こんな当たり前のことを言ったのだった。
福島には、親である自分の身は福島にとどめて、子を逃がした方が多くいる。
先日福島で話を伺った方もそうだった。
その方自身、甲状腺に異常を抱え、目を痛めた。-

 

-充血した術後間もない右目で、3.11から現在にいたる
その方の経緯を語ってくれたのだが、
やはり、異常事態に際した心構えを前提に持たれていた。

子供だけは-。言葉にすればそんな悲愴ともいえる心持ちには、
自分自身を守ることが脇に置かれている。
その悲壮さを、やわらかく自然体にする-

 

-そんな深い包容が院長の口調に現れていた。

福島の別の方は、保険会社の人間から直接福島で乳癌の増加傾向を確かめていた。
その肩の同僚も、診療所で甲状腺を見てもらうと、
その幾人かのほぼ全員に異常があったと言った。

福島で放射線に気を使う方はおそらく、現実には多数ではないように思える。-

 

-だが、そんな大人たちも同じく、今後何が起こるか
分からない状況にいることはかわらない。

松江院長の話は、ともすれば俎上から前提として
外されてしまっている大人の身に目を向ける内容だった。

「べつに大人の健康をきちんと管理してゆく、
それはもう”ぜったい”必要なことなんで、-

 

-「そういうことも、まあわれわれ、微力ですけれども、
まあこれからも一生懸命やってゆきたいと思っています。

まあ、、よろしくお願いいたします。」

松江院長がそうして発言を終えると、会場から拍手が挙がった。
松江院長の発言は以上だった。これ以下でも以上でもない。-

 

-自分が丸木美術館でのイベントを設けた際、とある移住支援団体の方は
「松江院長も中核派と認定しています。」と拒絶した。

現在存在しているこどもの保養支援団体は、やはり
ふくしま共同診療所とは関わりをもたないことを方針としている。
そのために、診療所を通じた避難、保養は進んでいない。-

 

-避難と保養を同じように掲げながら、避難保養団体の輪から外されて、
なかば取り残されている状態にちかい。つくづく、不毛だと思う。

診療所が診察した超音波検査が、三件、福島市医師会により
保険適用として認められなかった話を先日聞いた。

松江医師は市の医師会に事務の方と乗り込んで-

 

-その事情を確かめたという。ことを荒立てないように、
慎重に慎重を期するように周りから言われていたのだが、

そのあまりにまっとうなことの通じぬ人間を前にして、
松江医師は怒りを発した、という。

これも、探っても伝わってこないレベルの話だ。
こうして苦闘している医師もいることを、-

 

-知っていただきたい。彼、および彼らがとりのこされている現実というものも。-

 

詳しくは知らないが、特定秘密保護法というのは、
法律の施行以前の言動もさかのぼって処罰を行うものだと聞いた。

おそらく、3.11後福島に(福島だけではないが)向かい、
現地の実態を聞き調べている方にとっては、
以前のつぶやきに書いたように”すでに”福島がこの法律の目指す社会に-

 

-足を踏み入れていたことはご存知のことと思う。

(秘密にする、って、もう秘密になっていただろう)という
感慨をもたれる方は多いのではないか。

それが一歩を歩を進めて逮捕対象になる、というところが悪化なのだが、
遡上して処罰されるのならば、処罰対象に自分がすでに入っている、このことは-

 

-もう不動の事実になっている方もおられるように思う。

結局、そうした方にとっては、実はこの法律をめぐる喧騒にも
凪のような感覚をお持ちなのかもしれない。

(なんだ)(自分がやることは、ぜんぜん変わらないじゃないか-)

福島の方もこうした感覚を実際にお持ちだった。
この法律の直接の被害者が-

 

-実は自分にはあまりはっきりと見えていない。

おそらく、日本の兵隊なのだろうと思う。
兵として存在しながら、原発で働く作業員のように人知れず、
顧みられずに処理されてゆく。酷い話だとおもう。

そして、ある意味で曖昧な場所に身を隠しながら声を挙げていた多くの方が、
恐れから口を閉ざしてゆくこと、
行動に参加することをためらうようになることが、懸念される。

 

 ※次回に続く

 2016/12/27(火)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】新聞や週刊誌などの定期刊行物の購読が禁止されていたのは「証拠隠蔽の恐れがある」という理由だった ※45回目の紹介

2016-12-26 22:00:47 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。45回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

6 異常な取り調べ P103~

 新聞、雑誌を読めるようになって、少しは人間らしさを取り戻した気になる。新聞は朝ゆっくりと1時間くらいかけて読む。どうせ何もすることはない。週刊誌も隅から隅まで読む。文庫本も週3冊まで読める。文庫本もだいぶ読んだ。

「週刊朝日」副編集長の山口一臣氏から歴史小説の差し入れがあった。楽しく読ませてもらった。ウーロン茶の差し入れも何人かからあった。独居房に長くいるとそういうささいなことが本当にうれしいものである。人の温かみを感じる。感謝したい。

 それまで新聞や週刊誌などの定期刊行物の購読が禁止されていたのは「証拠隠蔽の恐れがある」という理由だった。新聞を読むことと罪証隠滅と、どういう関係にあるのかよくわからない。とくに私の事件の場合は、どんな関係があるのだろうか。よくわからないことをするのが裁判官だとつくづく思った。やはり何年から弁護士を経験した人の中から裁判官を選任する法曹一元化がいいのだろうか。自分が勾留されて初めて思う。

 ところで、接見禁止が一部解除されたといっても、まだ弁護人以外の人との接見はできない。家族ともダメである。衣類の差し入れなど、日常的なこともすべて弁護人を通じなければならない。とにかく生活のすべてが煩雑だった。

 サッカーのワールドカップも楽しみにしていたのに、残念だ。プロ野球は阪神ファンで、ある。昨年(平成13年)は頑張っていた。その前の年は甲子園球場に5、6回は行った。娑婆にいれば、それ以上、行ったであろう。もちろんテレビはないし見る機会もない。まれにプロ野球のラジオ放送があった。しかし午後9時にはその放送も打ち切られ、明かりも滅灯されて就寝しなければならない。未決収容者は7時30分起床、7時40分点検、8時朝食、12時昼食、16時30分夕食、16時50分点検、17時30分仮就床となっている。毎日、同じ日課である。変わることのない日々が何日も何日も続いていた。

 

 ※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』(検察側の裁判戦術)は、

2016/12/27(火)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


12月25日(日)のつぶやき

2016-12-26 02:22:10 | つぶやき