ネット検索していると懐かしいビデオを見つけた。このビデオは1991年に竣工し1997年まで運営された屋内人口スキー場の「スキーイングイン津田沼」。ビデオの中に出てくる動く歩道がスキーリフト代わりの設備でした。この後に大型の人工スキー場ザウスの動く歩道を受注し、据え付けた。年中スキーが出来るを売り言葉に熱い夏から、秋、冬、春までの4シーズンの英語(Summera,Autumn,Winter,Spring)=SAWS(ザウス)と名付けられゼネコンは鹿島建設が請け負い、下請けとして動く歩道を納入した。
津田沼では据付け工事中に、建設中のドームの天井部の溶接をしていたゼネコン(A建設)のミスで溶接の大量の火花が動く歩道のハンドレール上に落ちて火災になった。青いビニールシートをかぶせていたが、それに燃え移りハンドレールも燃えてしまった。オープン1か月前の出来事なので、施主からの納期厳守の依頼もあり、津田沼の現場を確認したその足で、成田空港に向かい、ハンドレールを製作してもらったカナダのトロントにある製造会社を訪問して、1週間以内の製作と現場までの納入を相手会社の社長に依頼した。
当時の自分は24時間いつもパスポートを持ち歩く生活で、現場から空港に移動し、簡単なバッグと着替えを購入して飛行機に搭乗した。真冬のカナダは寒く、飛行場でレンタカーを借りたが、外はホワイトアウトに近い状況で、飛行場から一般道に出るまで通常は2~3分のはずが、出口が判らず20分ほど掛かってしまった。この時の相手の会社には本当に感謝した。この時のことが発端で数カ月後に、日本のカナダ大使館から招待状が来た。
理由は、三菱、日立、東芝の3社ではエスカレータは日本製のハンドレールを使用するが、自分は日本で初めてカナダ製を使用したのが大使館の商務部で評価され、大使館内のホールで多くの企業を招き感謝パーティが開かれた。
6人かけの丸テーブルが20位配置され、合計で120名前後の日本人が招待されていて、大使からお礼のメッセージと記念品としてメイプルシロップもらった。
同じテーブルでも左側の席は、明治乳業と、森永乳業の社長、なぜか自分の右隣は女優の梶芽衣子さんと女性マネージャー。最後の一人が舞の海さん。舞の海さんは、当時はカナダの観光大使という称号でした。
https://www.youtube.com/watch?v=XjBp1Q4EzYI