500円札の思い出 A からの続きです
当時は サラ金も無くて簡単にお金を借りられるのは ラジオ・ギター等の身の回りのものは 通称イチロク16銀行『公益・質屋』でした 品物を預けていくばかりの金を借用して居ましたので
当時・母の仕送りの受け取りは 拓銀・池袋支店に現金を引き出しに行くのは 何時も決まって500円札・・
誤入金騒動の有った後に500円の出金依頼書を出して待って居ると 名前が・・・・
何と 通帳とお金が乗ったトレイには 何故かぴかぴかの新札の500円札ともう一枚も指が切れそうな程の500円札が・・・・
不思議に思って『あのう・・・・』と話しかけたら『ご来店ありがとうございました』と大声で言われて 『お金が多いのですがと言葉を返せず・・・』どうにも困って 銀行の通用門で退行してくるのを待ち続け・・・・
喫茶店に行く等の気の利いた事も出来ずに通用口から目と鼻の先にあった豊島公会堂の階段に座って随分色々と話をさせて頂きました
私と同年代位のその人とは 何回も『あのお金は(・・?』と言いそびれ 次回も次回も二枚の500円がお皿に乗っていて とうとう言いそびれてしまいました
10回~20回位は 窓口に立ち寄る以外にも通用口で帰りを待ち 『お金が合わない時ってどうするの(・・?』と聞いたら 銀行は 一円でも合わないと 伝票を何回も算盤を入れて合うまで何時間も皆で調べるのだとか・・・・
何回も同じ事が続きましたので大変申し訳無く思い自然と池袋支店には 足が遠のきました
其れから幾年も経たずに拓銀は 何と銀行は破たんして預金者の取り付け騒ぎが起き 急いで 2・3日 銀行通用口で待ったのですが 何故か会える事は叶いませんでした
その後・拓銀は 中央三井信託銀行の支店となり・もしや居るか?と訪ねたのですが 在校して居る筈も無く 北海道拓殖銀行も人々の記憶から忘れられてしまいました
500圓礼を見るとあの当時の貧困だった時の私と 拓銀の あの人を思い出します
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