NOVA 7Aから3への歩み その4 2005年12月26日

2005年12月26日 | 英語学習

レベル4

2001年6月2日~2002年1月6日 計78レッスン

そのころ使っていたテキストはレベル5までしかカバーしていないので、
レベル4から上が載っているテキストを購入させられる。
いきなり活字が小さくなって、文章量が圧倒的に増えていたので思いっきりビビる。
最初のレッスンで講師の話すスピードが明らかに早くなっていることに気がつき、
今までずいぶんと手加減されていたことを痛感する。

ターゲットグラマーは、仮定法過去、推量や断定の助動詞、助動詞+完了形、未来完了形など。
ターゲットグラマーを使った基礎的な練習はもちろんのこと、
生徒さん同士でディスカッションをさせられることが多くなった。
レベル5のときご無沙汰だったVoiceにすこしづつ参加するようになる。

レベル4になりたては、講師陣が大幅に入れ替わった時期でもあった。
有能な講師が何人か去っていき、新しい人が増えた。
95%の確率で二日酔い状態のやる気のない講師もやってきた。
そいつと当たったレッスンは捨て
そいつ以外はみんないい人だった。

ちなみに、いわゆるハズレ講師はいなくなるのが早い。
本人のやる気の問題もあるだろうし、日本人スタッフにクレームが集中するはず。
そのクレームはトレーナーに伝わり、説教される羽目になる。

トレーナーが入れ替わったせいかレベルアップの基準がゆるくなっている気がした。
顔見知りの生徒さんのレベルアップ・ラッシュがあった。
同じレベル4でも、ものすごくしゃべれる人と、そうじゃない人が混在し、アレ?と思う。
その後、レベル3に上がると、その傾向にますます拍車がかかることになる。

他のブランチの方から聞いた話や日記によると、
NOVA全体でレベル設定が昔よりも一段落ちくらいになっているらしいとの情報。
ほんの一握りしかいなかったレベル2がこの時期に急増したそうだ。
レベル3への試験が論述式から選択式に変更されたのも、
この事実を示唆しているように思えた。
トレーナー云々は関係なく、NOVAそのものの方針だったらしい。

レベル4に上がった勢いに上して、
2001年7月下旬に生まれて初めてTOEICを受ける。
テスト前日にTOEICフレンズでリスニングパートを試しにやってみた。
パート3、4がまったく太刀打ちできず。
本番を前にして、ものすごく不安になる。

本番はやはり玉砕……。
パート3、4はぜんぜんダメ。
パート7の長文は時間内に全部回答できず。
なんて恐ろしいテストなのだろう!!
結果は680点。
とほほであった。
やはりある程度の受験勉強は必要だと感じた。
その後、TOEIC参考書を買いあさりTOEIC対策を徐々に始める。

TOEIC受験後、しばらく英会話はスランプに陥る。
レッスンで英語が思ったように出なくなる。
2001年夏ごろの日記をあらためて読んでみると非常につらくなってくる。
かなり精神的に打ちのめされていたことがわかる。
英語が現状打破への希望だった。生きる希望といってもいい。
NOVAとの出会いがなかったら、もしかするとこの頃自殺していたかもしれない。
911のおかげで十何年ぶりの渡米がキャンセルになったのもつらかった。

つらいことばかりだったけど、秋頃からいいこともあった。
NOVAの生徒さんでホームページを運営されている方々がいらっしゃることに気がつく。
インターネット経由で他ブランチの方々と少しづつ交流が生まれていく。
秋も深くなってきた頃、NOVAつながりのサイトで知り合った方々とのオフ会が初めて実現。
翌年にVoiceを利用したVoiceオフが開催されることになる。

今はなきユニークな英会話スクールHowdy Howdyが気になりだすのもこの頃。
オフ会のメンバーが、このスクールにも通っていたのだ。
あ、そうだ。オフ会にHowdy Howdyの講師も連れてきてもらったんだっけ……。
Howdy Howdyについては、レベル3か別のエントリーでとりあげます。

秋頃うちのブランチに赴任してきた英国人講師に一目惚れ(正確には二目惚れ)。
外国人に恋したのは生まれて初めて。
英語がなかったら彼女に会うこともなかった。
生きる希望が湧いてくる。
英語をもっとがんばらなきゃと思う。
日記も彼女に対するハラハラ・ドキドキのエピソードが頻発し、
いちばん面白い時期となる(<自分で誉めてどうする!?)。
すみれ*さんから、「手に汗にぎる英会話」との称号ををいただく。
まさにそういう感じでした。

2002年1月初めに、トレーナー担当のレッスンを受けたあと、
レベルアップの推薦状をいただく。
休日出勤が多くて思うように通えていなかったので、
約半年でのレベルアップは信じられなかったし、飛び上がるくらい嬉しかった。
スランプからなんとか立ち直り、暮れの頃はわりと調子がよかったような気がする。

推薦状の最初のサインは12月2日。
二人目は12月24日。
最初のサインから最終的に推薦状が手渡されるまでにえらく日にちがかかっているのは、
レベル5時代と同様に好不調の落差が激しかったためと思われる。
レベルアップの筆記試験はえらく難しかったのを覚えている。
こんなの習ってないよ!ヽ(*`Д´)ノゴルァって。

7Aで駅前留学にデビューして、約1年半かかってレベル3に到達することができました。
自分は週末にしか行けなかったので、
平日にコンスタントにレッスンできる人がうらやましかったです。

次回は、現在のレベル3についてとりあげます。


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