昭和史(半藤一利著 平凡社)知らなかった
この本で初めて知ったことに、あろうことか1945年4月13日にルーズベルトが亡くなったことの弔辞を当時の首相が送ったというのです。たぶん講和交渉を少しでも有利にという考えだったのでしょうが、政治の恐ろしさをこれほど的確に表す事象はありません。国内向けには「一億火の玉」とか言いながら、敵国には弔辞を送り付ける。もちろん何の役にも立ちませんでした。たぶん足元を見抜かれただけだと思います。この分では今の政治にも言ってることとやることとが全く別という同様の案件があるかもしれないと思うと、何もかも信用できなくなります。わたくしは、マスコミを信用するなという人がいるのをマスコミは間違えるという意味にとっていたけど、そうでもない。初めから言ってることとやることとが全く別ならもうどうしようもない。
ほかにも、7月26日にポツダム宣言が発せられたとの記述があります。これはどこかで聞いて薄々知っていたことですが、著者はソ連の仲介に期待したため受諾が遅れたとしています。わたしはクーデタを恐れて態度を決められなかったこともあるのではと思います。この時代なら大いにありえただろう。この時の総理大臣、首脳は大変だったろう。
驚くことに、このポツダム宣言の内容は新聞に載ったようです。(28日付朝刊)新聞は戦意高揚のための文を添えてこれを報じたとありますが、人々はそれをどんな思いで読んでいたのかを知りたいものです。「あほらし」と思うのが普通だと思うのですが、著者はここは黙しています。
その新聞の戦意高揚の文が「笑止・・・・・自惚れを撃墜せん、聖戦を飽くまで完遂」といった美文なのです。今のわれわれから見ると、美文でヒトを酔わせてヒトの心を支配するとはそれこそ「笑止」なことです。同じころの永井荷風の日乗も美文で書かれていますが、こちらは本人が読み返すかせいぜいが好き者が読んで楽しむものですから害はないでしょう。しかし新聞など一般に公表される美文は気をつけねばいけません。
昭和20年までは、日本人は美文を味わう環境にいたようです。しかしGHQによって漢文を味わうことが制限されたのは返す返すも残念なことです。新聞やラジオは普通の話し言葉、日記や仲間内の会話には格調高い美文を使うともう少し我々の生活も豊かなものになったのではないか。
GHQが漢文を制限したのは、これによって日本人の戦意が高まったと見たかららしい。たしかにそんなとこあるけれども。(この本にはそこまでは書いていない。)