小説 新坊ちゃん④ 就職
言い忘れたが、雇われ者ながら予備校の経営はしっかり観察した。わたしは多分同じような組織運営ならできるであろう。まず講師控室である。広くて快適な部屋で世話をする若い男の人が一人だけいる。部屋に入るときも出るときもこの人の挨拶を受ける。控室に居る時間はそんなに長くない。入ったら今日教えるところの予習をし、終わったら質問に来るのがなければさっさと帰る。居るのは同業者であるから、多少気を遣うが何のトラブルもない。この挨拶をする若いのが居るおかげでだと思うが至極平和な空間であった。この人材を挨拶だけに使うのはちょっと勿体ない。そのほかの職員は皆テキパキ働いていて気持ちが良かった。そこを去るのであるから勇気が要るがわたしには縁談が大事である。
教職免状はあと数単位とらねばならないので慌てて聴講生を申し込んで、学校の先生になる方針を立てた。これなら終身雇用であるから先方の親も文句がないであろう。採用試験は夏の暑い日であった。まず一般教養の試験があるのだがそれ以外の試験も含めて試験問題が情けないほどレベルが低い。そのうえ品がない。わたしは数年間だけど大学入学試験問題を熱心に解いてきた。品のない問題を出す大学はランクの低い大学である、一流大学はさすがという出題をする。教員採用試験は最低ランクの大学よりさらに品のない出題をするところである。どうも教育委員会といのはあんまりレベルの高くない人材が集まっているようであると見当がついた。さもなくばここに雇われている人々は気を入れて仕事をしていないのであろう。
面接に出てきたのは、頭の中身はどうだか知らないが恐ろしく威張りクサッた老人が偉そうな口をきくので驚いた。何を聞かれてどう答えたのかさっぱり覚えがない。予備校の職員はテキパキしているうえに偉そうでない。両者全く異なる。しかし何事も縁談のためである、ここはいらざる批判をしないで賢く振る舞わねばなるまい。
無事採用になって、実際四月に赴任するまでが最後の予備校勤めである。予備校の校長もさらにその上に居る理事長もいい人であった。校長に辞める前にあいさつに行くと長いことご苦労様でしたとねぎらってくれた。さらに理事長のとこへも行けと言うので行くと餞別に見たこともない上等のボールペンをくれた。これは今でも大事にとってある。理事長は一代で巨大な学校を作ったひとである。それでも腰の低い愛想の良いヒトであった。わたしは今でもあんな人になりたいと思い出す。
さて念願の縁談であるが会ってみて驚いた。写真の人物とはかなり違いがある。まあそれはお互いだから文句は言わないことにしても、「不動産賃貸業」というのが曲者であった。お父さんは真面目なサラリーマンでたまたま所有していた小さな家を貸に出して月四万円とかのおカネを得ているということである。よく見ると釣書には小さい字で勤めている会社名が書かれており、不動産賃貸業が大きな字で書かれていたため見落としてしまった。月四万円は無いよりは良いけどこれは業としてやってるんじゃないだろう。
自分にもやっと運が廻ってきたと勘違いしたのである。もう天にも昇る気分で勝手にあれこれ自分にいいように物事を解釈してしまったのである。自分は運のいい人間であると思い込もうとしたのである。しかし反省してももう遅い。予備校は辞めると言ったし公立高校へ赴任する四月はもうすぐである。この縁談は断ってとにかく就職はして次の本当の運が廻って来るのを待つことにした。唯一良いことは、これから毎年三月にびくびくしなくて済むことこれだけであった。しかしなってみて分かったことだが学校にはもう一つだけだが良いことがあった。夏休みである。予備校の夏は本当にかき入れ時で忙しいが、学校は暇であった。収入が半分以下になったのは痛かったがこの二つのことがあるのでまあ許そうかという気になる。
しかし、良いことはこの二つだけであとは悪いことだらけであった。学校は悪魔が住む所である。現代の伏魔殿である。それは採用になった四月一日に早速分かった。